「お城初心者」城ガール隊なっちの歴史&城めぐり備忘録です。 天守閣や石垣で有名なお城だけでなく、関東の土の「お城」やそれらをつなぐ「古道」、「古戦場」などにはまって、ときどき「城攻め」や「古道あるき」に行っては、このblogやTwitterでぶつぶつとつぶやいております。 当blogへのご意見ご感想がありましたら、ぜひTwitterにて@natchdesにお寄せください。
2014年3月9日日曜日
フラれ続けた古道歩き・・・鎌倉街道山ノ道その1 小沢峠~佐藤塚
しばらく前から鎌倉街道(古道)上道についてブログの中で触れてきましたが、調べてみると鎌倉街道(古道)には7つの主要幹線道があったようです。
中心となっていたのが上道、中道、下道で、それに加えて京鎌倉往還、甲州鎌倉道、上総三浦鎌倉道、そして鎌倉街道山ノ道(秩父道)。
鎌倉街道山ノ道というのは秩父道ともいい、高崎から秩父~横瀬~名栗~軍畑~元八王子~高尾~相原十字路と続き、原町田で中世の主要幹線道である鎌倉街道上道に合流します。
上の地図の黄色い線が山ノ道です。赤線の上道に平行しており、裏街道にもなっていたようです。
この山ノ道、秩父から名栗(飯能)へ抜けるルートに妻坂峠がありますが、「上杉一揆、名栗谷を通、都麻坂(つまさか)を越~」と書かれた元亀3年(1572年)3月の秩父の朝見氏あて北条氏邦の感状が残されています。(武州文書)
ということは、どうやらこの道を越後の上杉謙信の軍勢が通っている・・・ということか?
この朝見氏は永禄12年(1569年)の軍功により北条氏邦から「朝見」の苗字を賜っており、そのときの氏邦感状に「甲州勢夜中土坂忍入阿熊屯~」(日本城郭体系)とあります・・・
んんん?甲州勢~!!
永禄12年といえば武田信玄の小田原攻め→三増合戦が行われた年。。。
もしかして、そのときに武田軍(の一部?)もここを通っているのか・・・!
特に秩父~名栗~青梅あたりまでは地元ということもあって結構知っている土地なので、わくわくしていても立ってもいられなくて、ずっと散策の機会を狙っていたのを、今回ほんの一部ですが実行することにしました。
といっても、次の地図で赤線で示したコース。
バスで小沢峠の名栗側からできるだけ古道をたどりながら、小沢峠~松の木峠~榎峠と越えて軍畑までのルートを歩いて、ハイキングコースにもなるような山道を直線距離10kmくらいの行程です。
山中には先日の雪もとけ残っているのが見え、若干足元が不安ですが、まぁ何とかなるだろうと高をくくって(?)いざ出陣!
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さて、「しゅたり」と忍者のように降り立ったのは飯能駅から名栗川に沿って20kmほど秩父方面に遡った、小沢(こざわ)バス停。
秩父方面から南下してきた鎌倉街道山ノ道は、このバス停のところで名栗川を渡り、県道53号線と合流して、埼玉県と東京都の境界になる小沢峠に向かって上っていきます。
結構、山の中には雪ありそうだなぁ・・・(>o<)
と思いながら舗装された県道をのしのし歩いて峠へと向かっていくと・・・まだ山道の旧道(古道)に入っていないのにもかかわらず歩道を歩けないっす。。。もうすでに笑うっきゃない(笑)
そして、まわり中雪だらけだというのに、恐ろしいモノをみつけてしまった・・・(^^;)
この中身が、お天気になるとばさばさ飛び回って、くしゃみ鼻水鼻づまりの素になるわけ☆
そのまましばらく坂道を登っていって・・・あれ?坂の途中から山の中に入っていく旧道(古道)があるはずなのに、県道の峠頂上にあるトンネルの近くまで来ちゃった???
GPSと地図で位置確認したら、旧道の入口からとんでもなく上まで来ちゃってた。
あわてて10分ほどもと来た道を転がり降りていったら・・・あったあった!
歩道に積みあがっている雪の陰にすっかり埋もれてしまって、どこに道があるのかわからなくなっちゃってました。 これは見落とすわけだ~☆
というわけで、雪の山を乗り越えてずぼずぼと林の中に踏み込んでいくと・・・
沢にかかる小橋と少彦名神を祭る小さなお堂。
まさしく小沢峠旧道の入口なんだけど・・・こりゃダメだ、すっかり雪に埋もれちゃってていけません~ (ToT)
とりあえず、せめて橋のところまで行ってその先に続く旧道を見たところ、古い石積みの橋台が雪に埋もれていました。
この橋台の幅とその先の道を見るからに、街道の道幅は2~3mといったところだったのでしょう。
ただし、さほど行かないうちに道が荒れて狭くなってしまっているのが見て取れます。
これじゃ、むりやり入っていっても遭難するのが目に見えているので、悔しいけど「勇気ある撤退」。
さきほど転がり降りてきた舗装路をぜえぜえ言いながら、また峠の上の小沢トンネルまで昇っていきました。
このトンネルの入口左側で、先ほどの旧道の続きと再び接触します。
・・・が、ハイキングコースになってる旧道は、やっぱりこの雪。。。
ここから小沢峠に登るには旧道を直線で300mほど。実際には九十九折の急坂らしい。
人の入っていったような踏みあともあるにはあるけど・・・
えいや!行けるところまで行ってみよう!っと意を決して雪の積もったガードレールを乗り越え、ざくざくとハイキングコースの雪道に入り込んでみると、思った以上に雪があって、ひざ上までずぼずぼ足が埋まってしまいます。
前に歩いた人の足跡をぴょこぴょこたどりながら50mほど登ってみたけど、その先は足跡すら見当たらず・・・あえなくギブ。
仕方なく、あまり通りたくなかった「いわくつきの」小沢トンネルをとぼとぼ歩くことに。
トンネルの中ほどで埼玉県から県境を越えて東京都に入ります。
とりあえず何事もなく(!)トンネルを通り抜けるとそこは雪のない国(笑)
埼玉側は北側斜面なので雪がかなり溶け残っていたのですが、南側斜面だと日が当たるのですいぶん違います。
そして、先ほど雪に埋もれていた旧道は小沢峠を越えて、トンネルのすぐそばに出てきます(写真トンネル右側の道)。
車道ばかり歩いて悔しかったので、これまで歩いてきた方向に戻ることにはありますが雪のない南斜面側から小沢峠に向かって旧道を再チャレすることにしました。
足元はやっぱりぬかるんでいますが雪はそれほどでもない上、山の管理のためか市役所の重機が林道に入っているので、歩くのには支障がそれほどなくてで助かります☆
そして林道をちょっと登ると・・・ありました!鎌倉街道山ノ道の古道遺構です~♪
林道に平行して浅くなっているけれども元は若干堀割っていたらしい道がまっすぐ伸びて、その奥に石垣らしきものが見えます。
石垣のところまで行ってみると、まっすぐ伸びていた古道が石垣にあたって90度方向を変え、そのまま石垣に沿って続いています。
途中から古道に林道が合流して重機が行き来してるので判りにくくなってしまってますが、道幅は2~3mほどでしょうか。
古道に沿った石垣は、もとはすっかり埋もれてしまっていたものが重機が通ったことによって露出したようです。
この写真のあたりは石積みが続いていたことがよくわかるのですが、他は「積まれていたらしい石が散在」になってます(TT)
この道をさらに5分ほど登ると、尾根の鞍部に出ます。
そこが小沢峠です。
小沢峠にある標識の縦矢印「細田安楽寺⇔棒ノ峰」は東西の尾根伝いに走る縦走路です。
現在でもハイキングルートとして多くのハイカーが通っています。
ちょっと高台に登って道を見下ろすと、小沢峠が尾根を縦横無尽に走る中近世古道「ハイウェイ」の交差点だということがよくわかります!
そして横矢印の「小沢⇔成木」が鎌倉街道山ノ道古道です。
本当はこの日この道を小沢から成木に歩き抜けるはずだったんですが、雪に阻まれて古道にフラれてしまったわけです・・・(泣)
さて、予定が狂って小沢からではなく成木側から登ってきた小沢峠、もと来た道をもう一度(この日2度目のフレーズ!)戻って、そのまま古い集落の中に入っていきました。
やっぱ、古い道のそばには路傍の石仏さまが多いですね♪
この集落を抜けたところが上成木バス停。
このまま南へ下っていくと、今度は松ノ木峠です。
この松ノ木峠も小沢峠と同じく現在はトンネルがあるのですが、並行して山道が残っているということで、チャレンジすべくその入口まで行ってみました。
・・・が、
あははは~!もう笑うっきゃありません(^△^)
やっぱり北側斜面はダメです。。。またも古道にフラれてしまった!
仕方なく早々にギブして、向こう側の見える短めのトンネルに入り歩いていたところ・・・
トンネル内で私の後ろから追い抜いていった車が出口を出ようとするあたりで、その車の音にかぶって「あーはっはっは!」と高らかな女の人の笑い声。
誰か同じように歩いている人がいるのかな?と思って前後をきょろきょろしてみたのですが、他には誰もいません。
ええ~?! いったい何なんだ?怖いよー!!!
思わず早足でトンネルを抜けてお日様の光の下に戻ってきたときの安堵感といったら!
いまだによくわからない現象です(><;)
そのまま下り坂を文字通り「転ぶように走って」、都道193号線とぶつかったT字路のところにあるのが、2基の五輪塔が佐藤塚です。
この五輪塔には正保2年(1645年)と読み取れる年号が記されているということです。
八王子城北条氏照家臣の佐藤助十郎が天正18年(1590年)の八王子城落城後にこの場所に定住して石灰を焼き始めたという伝承があり、成木石灰の元祖とされています。
この成木石灰は特に慶長11年(1606年)江戸城修築の際に御用を命じられたことから一躍有名になったということです。
この五輪塔はその佐藤氏の住居跡に建てられたものだというのですが、この傍らに流れている北小曽木川と街道の間のちょっと狭くて変則な場所にあるので、住居が本当にここにあったのかなぁ・・・と奇異な感じがします。
この佐藤塚からまた坂を上り始め、そこでふと見ると大泉院というお寺の前にお手洗いのある小さな公園を発見。
ちょうど時刻も12時になるところでお腹も空いてきていた所、お手洗い休憩もかねてお昼ごはんにすることにして、ブランコに座って持参してきたパンとおにぎりをかじりはじめました。
で、つらつらと考えるに・・・
もうひとつ榎峠を越えて下ったところがこの日のゴール予定の軍畑です。
でも、ここまでの所ことごとく古道にフラれまくって、結局小沢峠の南側斜面以外は車道しか歩いてないし、なんか不完全燃焼気味。
このあとどうしようかなぁ・・・と途方にくれながらスマホをとりだして、なんとなくいつもの習性でTwitterをチェックしてみたら、偶然(?)そこに流れてきたフォロワーさんのツイでこの後の行程ががらりと変わってしまったのでした!
(続く)