お彼岸のお墓参りついでにご先祖様縁で「鎌倉街道山ノ道」を少々歩いた次の日。
特に何も予定を入れてなくて、家中掃除機をかけまくりながら何の気なしにひょいっとTwiterのTLをチェックしたら・・・
誰かがRTした記事で、青梅市郷土博物館の企画展「戦国時代の青梅」~三田氏の滅亡と北条氏~ の案内ツイが。
しかも、この日が最終日。午後5時にはすべての展示が終わってしまいます。。。
これは・・・!神様のお導きに違いな~い!
青梅市郷土博物館はJR青梅駅から南に下った多摩川の河川敷にある「釜の淵公園」の中にあります。
うちからなら車を飛ばして30分強。なんとか間に合いそう~!
というわけで、大慌てで仕掛かっていた家の雑用をやっつけて、愛車の「オッサン号」に好きな曲と行き先をセットして・・・
気がついたのが遅かったの家を出るのが少々遅くなってはしまったけど、いざ出立!
ところがところが・・・
山を越えて青梅の町に入り、道の所々に点在している「青梅市郷土博物館→」の案内看板に従って多摩川を渡って、対岸の吉野街道から「かんぽの宿」への道に入ると・・・
え?行き止まり?
正確に言うと、「かんぽの宿」の裏側に10台ほど停められる「釜の淵公園利用者専用駐車場」があり、そこで道路は行き止まり。
その先は遊歩道が川に向かってぐうっと落ち込んでいて、「青梅市郷土博物館」らしき建物は影も形も・・・?
え~?案内看板にしたがってやってきたのに?
そう思いながら下の方をのぞき込んでみると、河川敷が公園になっていてその中に古民家風の建物が。
そしてその向こうにちょっとそれっぽい建物も。
あれかぁ~☆結構距離あるなぁ・・・
行ったとしたら帰りに河川敷から駐車場までの登りがしんどそうwww
ちょっと腰が引けながら、それでも気を取り直して行ってみると・・・
古民家風の建物は昭和53年に国の重要文化財に指定されて移築された「旧宮崎家住宅」。
建築様式からみて19世紀初頭(っていうと江戸時代文化文政の頃?)の建物だということです。
そしてその奥に・・・あった~、青梅市郷土博物館!
ちゃんと入り口のところには企画展の看板も♪
入場料無料!さっそく中に入って、それから一時間ほどどっぷり堪能♪
30分山道を車とばしてきた甲斐はあったかな?
というわけで、今回の展示の一部を(こっそり?)ご紹介☆
*********
辛垣城落城時の当主、三田綱秀が用いたとされる兜の前立てと軍旗
北条氏照より青梅の金剛寺と野口刑部丞にあてた朱印状。三田氏滅亡後も以前と同じ寺領や所領を安堵しているものです。
北条氏照より青梅金剛寺あての書状。いわゆる「制札」にあたるのかな?
そして、今回は特にこれが見たくて飛んでいった・・・という北条氏照から三田氏旧家臣にあてた「清戸三番衆状」!
昔からすごく気になってたんです。本物が見られて、超感激♪
この「清戸三番衆状」は三田氏旧家臣の代表である三田治部少輔と師岡采女佑にあてたもので、三田氏旧臣達に箱根ヶ崎(瑞穂町)に集合を命じ、そこから清戸(清瀬市)に移動して番所の警備をするように命じているものです。
この清戸番所というのは所沢の滝の城の対岸にあったといわれているもので、今でも志木街道がとおっているあたりを警護していたのだと思われます。
この街道は当時北条氏に敵対していた太田氏の岩槻城方面にも通じており、当時の防衛面でも最前線の大事な番所であったのでしょう。
この書状には三田氏旧家臣の名前も連ねられており、当時どのような武士達が従っていたのかよくわかります。
それから・・・
北条氏が青梅の愛染院に出した禁制。
よくよく見ると、虎朱印(禄寿応隠)だぁ~!!!!
他にも他にも・・・いろいろ展示がありました。
くわしくは図録が出ていますので、そちらをご購入いただければもっと鮮明に見られます。
1冊900円なり。購入方法は次のHPをごらんくださいませ(笑)
http://www.ome-tky.ed.jp/kyodo/sengokuzuroku.html
そして~!展示を一通り見終わった後は事務所に行って、以前出席できなくて涙を飲んだ今回の企画展関連講座「三田氏と小田原北条氏」の資料もゲット!♪ヽ(´▽`)/
北条氏や三田氏大石氏など八王子青梅近辺の戦国史を研究されている駿河台大学の黒田基樹先生が講師だったのだ。
行きたかったなぁ・・・(;_;)
本当に小さな企画展ではあったのですが、自分的には大満足!して帰ってきたのでした。
また、本当にそのうち機会があったら黒田先生のお話聞きたいです!
同様の企画があったら・・・今度こそは講座も逃さないようにしっかりチェックして参加するぞ~!
と、心に誓って帰ってきた企画展示だったのでした。