2012年11月9日金曜日

丸岡城登城記~城ガール隊遠征その3~




さて、一行15人を乗せた3台の車は、北陸自動車道敦賀ICより高速道路に入って敦賀に別れを告げ、一路福井へ。

途中「日本一のメガネ産地」鯖江市のあたりで、車窓から「巨大なメガネが山腹にある」のを教えてもらって大喜び!

(写真、山腹の白い四角の看板にメガネが書いてあります・・・メガネの形じゃなかったのがちょっと残念(^^;))

遅めの昼食は南条SAで名物「越前そば」と「へしこ丼」・・・へしこ?

私は今まで「へしこ」って見たことも聞いたこともなかったので、これは思わず両方とも食するっきゃない!

というわけでおそばにミニへしこ丼をつけてもらってセット風にしてもらったら・・・いや、へしこ丼美味しい!はまっちゃいました☆

「へしこ」ってさばのぬか漬け(?)、若狭の伝統保存食なんですね。

発酵食品らしい深みのあるしょっぱさがご飯にすごくマッチして、私好みで最高!

このしょっぱさは、むしろ関東以北の人間にはなじむかも・・・
ってことで、後日帰宅の際には、しっかりへしこを買い込んでしまったワタシ(^◇^;)



それはさておき・・・

初めての福井県、見るもの聞くものみんな物珍しくて、いろいろ楽しみながらも次の城攻めです。
やっぱ、城ガール隊の遠征ですからね(笑)

で、到着したのは、現存天守では最古の建築様式を誇る丸岡城です。

 

丸岡城は、福井県坂井市(福井市のお隣)の小高い独立した丘陵に築かれた平山城です。

明治になって民有になり、建物(館・門・塀・武家屋敷など)は売却され、石垣は壊れるままに放置され、周囲に廻らされていたという五角形の内堀(一番左の写真の絵図)も、今は埋め立てられてしまって見当たりません。

唯一、安土桃山時代に建造されたと推定されている天守が残りましたが、これも、昭和23年の福井地震で倒壊したんだそうです。

その後、天守は昭和25年に重要文化財の指定を受け、昭和30年に修復再建されました。
現在は本丸の天守と、わずかに野づら積みの石垣が残るのみなのだそうです。




天守に入る石段の脇にヘンな石が置いてあります。

実はこれ、かつて天守の上に乗っていた「鯱(しゃち)」なんです(*_*)

全国でも珍しく、この天守の約6000枚の瓦は、なんとすべて笏谷石という石でできているんです。

で、この鯱も笏谷石でできているんですが、福井地震で天守から落ちてしまったので、現在は木造銅板張りの鯱が屋根に乗り、石造りの鯱はこの場所に保管されているというわけです。

でも、多少崩れているせいか、よくよく見ないと鯱には見えないですよね。

大きな長靴のモニュメント・・・?(笑)


天守の中に入ると、すぐ目の前にものすごく急な階段。
靴を脱いでスリッパに履き替えて中に入るのですが、このスリッパがつるつるに磨かれた階段で滑るので、みんな余計に上り下りに大苦戦なのです。


 

上の階に登ると、周囲に「石落とし」という狭間(右の写真)が廻らされています。
石垣を登ってくる外的に対して、ここから石を落としたり、弓や鉄砲を撃ったりするわけです。

他の階では、窓から外を見ると・・・一面に笏谷石の瓦!
1枚が20~40kgあるので、屋根全体で120tもあるんです!

だから、通常の建物のような通し柱で支えるのではなくて、一層が二層三層を支えて重さを分散させるのだ、と入り口のところにいたボランティア案内人のおばさんが親切に教えてくれました。
(階段の降り方についても教えてくれましたが・・・) 




天守を出てきて・・・普通ならここで「あ~素敵だったね~!」と終わってしまうところです。

周囲を見ても、ぱっと見には何も見どころはなさそうだし・・・

ところが、そこは城ガール隊。

幹事さんが作成してくれたパンフレット資料の中に「丸岡城の全貌はほとんど失われているが、旧外堀はところどころ旧状をとどめており」と書かれているのを見て・・・


「行ってみよう!」




もうすでに午後も夕暮れに近くなってきてはいたんですが、本丸を降り、縄張り図を見ながら城下の町中へ。


天守の中でボランティア案内人のおばさんが言ってたんですけど、天守のある本丸の下の道路はその昔の堀底らしい。確かに、ぐるりと堀っぽい雰囲気。






縄張り図をみながら「あっちだ」「こっちだ」と道路ばたでわいわいやっている女性ばかりの集団・・・異様だったのかもしれませんね(笑)


「浄學寺」と刻まれた石標のあるお寺の門前で、立ち話をしていた3人のかわいらしい感じのおばあちゃんsに「あんたたち、どっから来たの?」「なにしてんの?」

「お城の外堀の跡をさがしてるんですよ~」と話をしたら、「ちょっと先の川がそうだよ」

なんでも、おばあちゃんsのひとりがこのお寺の方だそうで、お寺自体も「旧丸岡藩家老屋敷の跡」なんだそうです。

・・・へへ~! m(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m

で、そのお寺の裏側の方に「キリシタン灯籠」があるんだと教えてもらいました。

一番右の写真がそれです。支柱のふくらみで十字架を表しているのだそうで、柱のくぼみの中にある人のようなでっぱり形が「マリア様?」


またみんなでぞろぞろと教えられたとおりに歩いて行くと・・・あったあった、小さな川と橋。

これがところどころ残っているという外堀の遺構らしいです。

この川(?)に沿って歩くとすぐに「公園」ぽい、公衆トイレ付きのこぎれいなスペースが現れて、その先には堀の曲がり角と、堀の他の部分とは明らかに違う石の積み方の「石垣」。

これまたみんなでぞろぞろと石垣を見ながらシャッターを切っていると、石垣の上にいたおばちゃんが「そんなとこでなにやってるの~?」

堀の向こうから「この堀はね~」といろいろ教えてくれるんです。

ふと気がつくと、さっそくkaiさんやゆうりさんが堀の向こう側に回り込んでおばちゃんに取材中。



やはりこの堀はその昔の外堀の一部だそうで、堀の石積みはほとんどがコンクリート護岸になっているんですが、この部分だけむかしのままの石積みが残っているんだそうです。

で、ここにいた2人のおばちゃんは「確かうちにお堀やお城の図面とか資料があったよ!」とわざわざ家に戻って見てくれようとするんです。

さすがにそれは申し訳ないので遠慮したんですが、昔の城下町のことや堀の埋め立てのこととかとも四方山話でいろいろお話してくれました。

本当に先ほどのおばあちゃんsもですが、この町ではみんな親切で、そしてお城や城下町のことを誇らしげに話してくれるんです。

学校でも地元の歴史を教えたりしてるんでしょうけど、やはり「城の歴史=町の歴史」そこで暮らす人達の歴史なんだなぁ・・・と実感です☆

一日中、敦賀~丸岡とあちこち歩き回って、城ガール隊福井遠征の第一日目も暮れました。
夜は福井市内で懇親会。飲んで食べてお城談義に花が咲きました。

お疲れさまでした。かんぱーい!




2012年11月1日木曜日

敦賀城・・・そして。 ~城ガール隊遠征その2~

さて、行程では金ヶ崎城の次は敦賀城。。。

大谷吉継公の居城として知られる敦賀城は、笙の川河口を埋め立てて奉行所を設置し三層の天守閣が造営されるなど、広い城域であったようですが、関ケ原の戦いで吉継公が西軍について敗北した後東軍に引き渡され、元和の一国一城令で廃城となったということです。




今ではすっかり市街地と化してしまって城は姿を消してしまっていましたが、縄張り図を見ながら、城域だったであろうという真願寺に行きました。


・・・が、「城址」らしきものは影も形もみあたりません。


お寺の外壁がなんとなく石垣と白壁で「お城ちっく」ではありますが、これはあくまで後世の(というよりも現代の?)ものらしく、お寺の門前に「大谷吉継 敦賀城跡」と刻まれた石碑が建っているのみです。

とりあえず、城址のモニュメントですので、ここで城ガール隊の城攻め恒例(?)「おおたににゃんぶ」殿と「いしだみつにゃん」殿の記念撮影~☆

特に縁の地でもありますし、石碑の足元にうれしそうに(?)さりげなく写ってるのがわかりますか?(笑)





境内に入ってみると、本堂の脇にそっと「敦賀城礎石」と刻まれた石とともに礎石が残っています。

これは敦賀城乾門の礎石だということです。


HPその他の資料によると、現在敦賀城の面影を偲ばせる遺構というのは、この真願寺の「乾門礎石」と、北側の堀跡といわれる真願寺そばの闇加川、敦賀城裏門の移築といわれる来迎寺表門、八幡神社の境内の表門の礎石くらいしか残っていないようです。

あとはわりと最近に遺構が発見されたということで、敦賀西小学校の正門横に大きな城跡碑が建てられているとか。

真願寺以外はいずれも今回行かなかったんですが (^^;)



で、乾門礎石を確認した後、他に何かないかな~とぐるぐる真願寺の境内を歩き回り、本堂真っ正面の参道に出て門を振り返ってみたら・・・






さりげなく目立たなく、「敦賀城 中門」と書かれた木札が建っている?

しげしげとしばらく眺めてみましたが、結構簡素な門構えで普通のお寺の山門っぽい感じもしましたが、真ん中の写真、門から続く外塀のあたりが堀っぽく見えなくもないか・・・?

縄張り図とは全く一致しませんが。

次に右側の写真、「堀跡」であるという闇加川に沿って歩いてみました。

こちらは縄張り図に一致しているようです。が、途中で住宅地に阻まれてしまい、縄張り図をたどっていくことは難しい状況でした。


この写真は、金ヶ崎城から真願寺に向かう途中で立ち寄った敦賀市内の永賞寺境内にある、関ヶ原の合戦の9年後に建てられたという大谷吉継の供養塔です。

実際歩いてみると、敦賀城自体は跡形もなくなってしまっているけれど、市内のあちこちに縁の場所はあるみたいなんですね。

大谷吉継は賤ヶ岳での活躍や石田三成とのエピソード、関ヶ原での見事な散り際など、戦国武将として非常にメジャーな存在だと私は思っているのですが、それでも実は、敦賀城を居城としていたことや、そもそも敦賀城の存在を知りませんでした。

今回城ガール隊の誰かがぽつりと言っていました。せっかく有名な武将のいた地なのだから、もっともっとそういった場所も含めて敦賀や敦賀城をアピールすれば、もっと訪れる人も多くなるだろうし、敦賀のことも知ってもらえるのに、敦賀の人って奥ゆかしいよね・・・と。

本当にそうだなぁ、としみじみ思いました。


真願寺周辺にてうろうろと遺構を探し求めた後、今度は「つるがみなと山車会館」へ。

「山車」と書いて、私の住んでいる埼玉あたりでは「だし」と読みますが、敦賀では「やま」というのだそうです。敦賀まつりで使われるこの「山車(やま)」を展示しているのがこの会館です。





山車はただ置いてあるだけでなく、下の台座ごと動くようになっていて、収納庫の扉が開いてこちらに向かってせり出してくる様はなかなかの迫力です☆

また、ロビーにひっそりと敦賀城を取り巻く地理関係を表した絵図面や発掘調査についての展示がされていて、私なんかむしろ山車よりもそちらの展示にかぶりつきになってました(笑)






ロビーの売店ではいろいろグッズも売ってたりしたので、総勢15人でうろうろわいわいしていると、受付のところにいた案内の方々や館長さんまで出てきて、いろいろと話しかけてくれました。

で、城に興味を持つ「城ガール隊」の一行だと知ると、敦賀城と町のことを話してくださったり、ひとり一部ずつ封筒入りの資料を用意してくださったり、キャラクターのシールをくださったり・・・

すごく親切に相手をしていただけました。

資料も、なんと敦賀城と大谷吉継のものばかり。なんと敦賀城の発掘調査に関する資料まで入ってる・・・! あまりこの会館のPRにはならないだろうに、なんてやさしいんだぁ~!

最後は集合写真まで撮っていただいた上、駐車場まで送りに出てくださいました。
「つるがみなと山車会館」の皆さん、本当にありがとうございました!
でも、「皆さん、学生さん?」にはマイッタなぁ~☆ 
確かに大学卒業したてくらいの年齢のメンバーもいたけど、ほとんどのメンバーは・・・なんだけど(笑)

さて、山車会館の後は敦賀を離れて、福井は丸岡城へ向かいます。
その報告は、また次回。(^ω^)ノシ


2012年10月30日火曜日

金ヶ崎の退き口~城ガール隊遠征その1~

この春に城ガール隊に仲間入りして約半年・・・初めて城ガール隊の遠征に参加することにしました。

資金的にも家の事情的にもなかなか遠出の難しい自分。。。

だけど、以前からとっても行ってみたかった越前朝倉一乗谷がコースにあるツアーだし、こんなことでもなければ、なかなか遠くのお城を攻めるなんてこと金輪際できないだろうな、ということで、清水の舞台からエイヤッ!と飛び降りて・・・

一泊二日の敦賀&福井「大」遠征に参加することにしたのでした(笑)



さて、今回の城ガール隊遠征、日程は2日間です。

1日目は参加者15名が朝9時に敦賀駅集合で、金ヶ崎城→敦賀城→つるがみなと山車会館→福井に移動して丸岡城、と攻めて参ります。


関東からだと遠いこともあって、私は前の日に仕事を終えてから新幹線&特急で現地に前乗りしていたので、同じく関東から前乗りして前夜一緒に飲みに行ったさとみんさんとともに、みなさんをお出迎え。

続々と城ガール隊精鋭の面々が集結する様は圧巻です!(笑)

私にとっては初顔合わせの方も多かったんですが、日頃Twitterでつぶやきあっていることもあって、初対面な感じはあまりしません。

すぐになじんで3台の車に分乗してLet's GO!


まず最初は金ヶ崎城です。




昔々日本史の授業で、織田信長の朝倉攻めと浅井長政の裏切り、お市の方の機転で信長が挟撃の窮地を逃れた話・・・なんていうのを習ったような記憶があります。

信長は琵琶湖の西側を北上し、手筒山城、金ヶ崎城、引壇城を落として越前一乗谷に向かうべく木ノ芽峠に進出したところで、長政の裏切りを知って撤退しました。

このとき信長が木下秀吉・明智光秀らを殿軍に残したのが、この金ヶ崎城だということで、この一連の撤退戦を「金ヶ崎の退き口」または「金ヶ崎崩れ」というそうです。


縄張り図を見ると、手筒山城のある山から峰続きで海に向かって突き出した部分が金ヶ崎城です。


駐車場は城のある山を取り巻く道路から一段下がったところにあり、道路への上り口脇にはレンガ造りの古そう~な小屋が・・・

この小屋、その昔の敦賀港の港湾施設だったようで、とすると海は今よりももっと山に近かったか・・・?

すぐに急な階段があって、その先には鳥居。



この金ヶ崎城は平安末期にはすでに存在していたらしく、足利尊氏の上洛時に後醍醐天皇の命を受けて新田義貞が奉じて籠城し非業の死を遂げた、恒良・尊良両親王を祭った「金ヶ崎宮」です。

境内はなにやらきらびやかに飾り付けられていて、宮司さんたちが歩き回っています。

売店で聞くと、ご朱印帳を書いている宮司さんが「今日はちょうど御船遊管弦祭(おふなあそびかんげんさい)の日なんだよ」。

両親王をなぐさめる月の宴を開いた故事にちなんで、古式ゆかしく神楽殿で白拍子の舞を奉納したり、お神輿を船に載せて渡御するのだそうです。

ちょうど時間的にあわなかったので祭りを見ることはできなかったのですが、年に一度しか開かないというお宮の扉の中をのぞかせてもらったり、お神輿を間近でながめたり(ちょっとだけ触らせてもらったり)・・・


さて、お宮の脇を抜けてさらに奥へと行くと、かなり急な上り道。
右手になにやら曲輪への入り口らしきものがあり、のこのこ入っていくと大きな土塁に囲まれた曲輪状の空間。

右側の写真がその出入り口を中側の「土塁」上から見たところです。
そして、土塁の上にあたる場所に「尊良親王御陵墓見込地」の石碑が・・・




「見込み」ということは、御陵墓ではないんですね~☆


また元の道に戻って階段道をぐんぐん登っていくと、この城跡で一番高い場所に出ます。

「月見御殿跡」です。




月見御殿跡に立つと、目の下は絶壁で、すぐに海です。

そういえば、売店の宮司さんがご朱印帳を書きながらいろいろと話してくださったんですが、今回車を停めた駐車場のあたりや右側の写真に写っているセメント工場のあたりはすべて海だったので、今以上に三方海に囲まれた城だったんだそうです。

標高85mのこんな絶壁、上り下りすらままなりません。
だから、確かに3方向海によってがっちり守られてはいます・・・が、反対に逃げることもできないというわけで。

新田義貞がこの城によって足利軍と戦ったときには兵糧攻めにあったようなんですが、
残りの陸側1方向を押さえられちゃったら、確かにそれこそ「袋のネズミ」になっちゃいそうですね。

「金ヶ崎の退き口」の時、結局秀吉はここから出て殿軍として戦いながら見事退却に成功するわけですが、ここで戦ったとしてどうやって城から抜け出すんだろう?

敵軍を引きつけて時間稼ぎをしなきゃ「殿軍」のイミはないので、戦い自体は城を出て退却しながらしかなかったんだろうなぁ・・・などなど考えながら海を眺めておりました。。。



月見御殿から下って内陸側の手筒山城方面に向かって尾根を行くと、尾根伝いの防御と思われる三の城戸、二の城戸、一の城戸の三つの堀切が出現します。

写真は三の城戸。両側に切れ込んでいる堀切を通る土橋。

土橋の向こうに続く道は横にうねって、土橋の上を通る人を攻撃しやすくなっているのがよくわかります。

今回の行程で初の土橋に喜んで、ここでみんなで恒例のポーズ。

「土橋!」



・・・なのですが、これまたご朱印帳の宮司さんによれば、一番はっきりと遺構が残っているのは二の城戸なのだとか。


下の写真、左側は堀切を下から走り登ってくる城ガール隊員。
やっぱり遺構を見ると活き活きしてます♪





そして、まもなく二の城戸へ。

・・・すごい! しっかりとした堀切が残ってました!

右の写真、堀切の底から斜面を登っていく城ガール隊員たちです。
人と比較すると、堀の大きさがわかるでしょうか?



ところがところが・・・

実はこの二の城戸の大堀切の近くの斜面に畝状竪堀が数条あるらしい、というのを縄張り図等から探してきた人がいて、それを探しに行くべく、斜面の藪の中に突入!

人の通らない斜面なので、足元が落ち葉や倒木だらけでずるずる滑るし、ふかふかで踏ん張りがきかないし・・・

中には数m滑落する人も出たりなんかして(^^;)

それでも、見つけました!写真の通りの畝状竪堀。
苦労して確認できただけに、感動もひとしおです☆

隊員の立っている様子で、出っ張りとへこみがわかるでしょうか。


こういうのを見つけるのも、城ガール隊の醍醐味です。

ただし、誰でもがむやみやたらに入っていける場所ではないので、ちゃんとした装備と状況判断があってのことですが・・・


金ヶ崎城の城域はこの二の城戸の先にある一の城戸で終わりのようです。
そのまま金ヶ崎宮まで直行で降りて、次の行程、敦賀城はまた次回ブログにて・・・(笑)

2012年10月16日火曜日

八王子、ぶらぶら・・・

・・・って言っても、私の場合八王子の中心地ではないところがミソだったりするんですが・・・(^^;)

先日twitterで、八王子城跡ガイダンス施設の開館記念特別展について、フォロワーさんが情報を流していたのをキャッチして行きたいな~☆と思っていたんです。

で、この週末。あまりにお天気がよくてどこかにでかけたいな~と思ったものの、午後にピアノのレッスンが入っていたので遠出も「城攻め」もできないし・・・

んじゃ、特別展見るくらいなら行けそうだから、行ってみるか~!っとのこのこ特別展に出かけました。

特別展の会場は、八王子市郷土資料館。なぜか前庭で昔懐かし(?)二宮金次郎さんがお出迎えしてくれる、古くてお茶目な施設です。



それほど広くもない常設展示室が一室だけの小さな資料館の中の、会議室くらいの広さの特別展示室でお目当ての特別展が開かれていました。

展示物は、八王子城のガイダンス施設の開館にちなんで、それまでの発掘調査による出土品の数々。


北条氏照の居館跡(御主殿跡)から出土した、当時の生活用品が主でした。

八王子城が落城したときに御主殿も燃えたからなのか、木製品や藁製品等はまったくないのですが、かわらけや陶器、鉄製品等の出土品の中には海外からの輸入品とみられるものもあり、北条氏の力というものを垣間見ることができます。

私はどちらかというと出土品よりは遺構の発掘状況写真や図面の展示の方が興味深くて、そちらばかりじっくり眺めていたんですが・・・

実はこの展示会に合わせて、特別展展示図録「八王子城」(A5版  148ページ オールカラー)が発酵されて、資料館で販売しているのですが、その中に今回の展示内容も含めて、発掘調査の状況がばっちり記載されています。


下の写真の右側がその「八王子城」。このしっかりした装丁と内容の冊子が350円!
かなりお買い得ですよね~♪
その上、お買い上げ時にはもれなく左側の冊子「発掘された八王子城」もついてきます。
(少なくとも私は、こちらから何も言わなかったのに無料でつけていただきました)


対応していただいた事務所の方々や展示室の入り口で受付(?)をしていたボランティアガイドのおじさんたちも、すごく丁寧に質問に対応していただいたし、アットホームな感じの展示会でした。

興味のある方はぜひ行ってみてください。ベネチア産のレースガラス器の出土品も展示されていましたし、中世の暮らしに興味のある方には特に面白いと思います。

(特別展HP)
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/rekishibunkazai/kyodoshiryokan/035509.html


さて、勢いで展示会に行ってはみたものの、小さな展示会だったので、常設展示を含めてじっくり見て回ってもお昼前には見終わってしまった・・・

ホントはせっかく八王子城の展示に来たんだから、八王子城に回ればいいのかもしれませんが、郷土資料館は八王子市街にあるので、事務所の方に伺うと八王子城までは車で20分くらいかかるとのこと。

この日はピアノのレッスンのために3時半までに地元に帰らなくちゃ行けないという制約付きだったし、ガイダンス施設も実際にはまだ開館していない(10/20開館予定)ので、八王子城に回ることは断念(T_T)。

お天気はめちゃくちゃ良かったので、地元に帰る途中に位置する滝山城でお昼を食べることに。

滝山城は武蔵国守護代で山内上杉氏の重臣、大石定重が築城したといわれ、その子の定久や定久の養子となった北条氏照が居城としていましたが、氏照は天正十二(1584)年ごろ、八王子城に移ったので、滝山城は廃城となっています。

現在は都立公園となっていて、堀や土塁などの遺構がよく残っている上、道もよく整備されているので、とても歩きやすくなっています。

また、遺構の見どころには近辺の縄張り図つきの案内板が出ています。
こんな感じ。



この遺構が示している「コの字型土橋」は、実際はこうなっています。



この写真は、縄張り図上の「城道」右側から左側の方に向かって堀と土橋を見ている感じです。

滝山城は適当な駐車場が見当たらないので、ふもとのコンビニで食料を買い込んで、そのまま歩いて登っていきました。

細い堀底道から小宮曲輪、三の丸の城道を抜けて、「コの字型土橋」を渡り、城道から左手の千畳敷に登ると・・・




そこには青々とした芝生の上にベンチが転々とある広ーい空間がありました。

爽やかな青空の下、この空間とお日さまの光とそよ風と・・・ぜーんぶ独り占め!
コゲラが木をつつくドラミングの音を聴きながら、コンビニのおにぎりをかじってのんびりまったりなお昼ご飯。妙に贅沢気分でした(^^)v

この滝山城、しっかり予習してじっくりゆっくり見て回ると見どころはたくさんあるんですが、この日はゆっくりするヒマもなかったので、写真だけご紹介しますと、こんな感じ。




左の写真は中の丸からの眺め。眼下に多摩川の流れを見ることができます。
他の2枚は、中の丸と本丸をつなぐ曳き橋と、曳き橋の先にある本丸の枡形虎口。



そして、こちらは本丸下の堀底道から曳き橋を見あげたところです。

この日は時間の関係もあって駆け足でここまで見て引き返しましたが、他にも馬出し曲輪や山の神曲輪といった曲輪群や搦手道など見どころは多々あります。

また、中の丸の立派なトイレの裏側には、これまた立派な土塁があって、二の丸と中の丸の間にはしっかりとした堀切があるのですが、この堀切の防護をさらに強固なものにしています。

ちょっと藪になっていて、ヤブ蚊がぶんぶん飛び回っていたので、入るのをためらってしまいました。

次は藪のない時期に、しっかり見て回りたいな~と思います・・・

かなり駆け足でしたが、ちょっとだけ城気分になれた休日の一日でした(笑)





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