新年会は毎年恒例の「浅草でもんじゃ」。飲んで食べて語り合う!
そして納涼会もいつも楽しい懇親飲み会があるので、「飲んでばかりの関東支部」なイメージ?
いえいえ関東支部納涼会では、毎年【昼の部】でお城歩きをして【夜の部】で乾杯~!なのです♪
一昨年の「江戸城スペシャル☆」、昨年の「小田原城オフ会」に引き続き、今年の納涼会【昼の部】は川越城!
というわけで、「小江戸名所めぐり」バスに乗って出発~!
まず最初の目的地は川越喜多院。
門前でバスを降りたら、さっそく記念撮影~♪
みんな、いつの間にか川越駅前にてカワイイうちわをGETしてる(笑)
喜多院は、江戸時代初期に徳川家康公の信任厚かった天海僧正が住職を務めた寺院です。
そのため幕府からの手厚い庇護を受け、寛永15年(1638年)の川越大火で堂宇が消失した際に、三代将軍家光公の命により江戸城紅葉山の別殿が移築されています。
まずは本堂にお参り♪
本堂の脇の方にはその移築された建物の拝観入口があって、豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光公誕生の間や、「書院」と呼ばれる家光公の乳母として知られる春日局化粧の間を見に入れます。
ちなみに拝観受付で御朱印をいただくこともできます♪
・・・が、江戸幕府ゆかりの寺院もいいのですが、やっぱり「城ガール隊」なので、こっちの空堀の方がいいですよね~☆
実は、喜多院の本堂裏手の方から隣接する仙波東照宮の周りに方形にぐるっと、ご機嫌な空堀がめぐらされていて、その一部は土塁とともに喜多院の紅葉山庭園や遠州流庭園の方まで続いているんです!
仙波東照宮については、徳川家康公の遺骸が久能山から日光山に遷座する途中で、この喜多院に立ち寄って法要が行われたことから、その後「遺柩止留の跡」として「高さ5間の丘を築いて社殿を造った」と言われています。
一方で、この仙波東照宮の場所はもともと中世河越(川越)城の出城だったという説もあり・・・
今ではところどころ切られてしまってるけど、元は土塁が奥の方からずっと続いていたんだろうな~、と妄想むくむくしながら歩くメンバーたちです♪
喜多院の境内には五百羅漢もあって・・・
全部が違う羅漢さんなので、ひとつひとつ眺めてはいろんな羅漢さんも楽しみました~!
自分に似た羅漢さんに出会えたかな?
まずは、博物館にある江戸時代の川越を表した大きなジオラマで、喜多院と川越城の位置確認。手前が川越城、奥の四角い緑が喜多院です。
また、江戸時代に入ると川越藩が置かれ、「知恵伊豆」こと松平信綱や柳沢吉保など幕政の重職に着いた有力譜代大名や、親藩の越前松平家などが入封しています。
さて、博物館で予習をしたら、次はいよいよ川越城の本丸御殿!
川越城の本丸御殿は「東日本唯一の本丸御殿遺構」だそうです。
もとは建物の数16棟、1025坪にもおよぶ広大な御殿だったようですが、明治以降は城としての役目を終えて多くの建物が移築・解体されて、現在は玄関と広間部分、それに家老詰所部分など嘉永元年(1848年)に建てられた御殿の一部のみが現存しています。
天守代わりの櫓が建っていたというだけあって、割と広くて、風が気持ちいい~☆
のびのび♪
駐車場になってる?周囲の低地は、富士見櫓を取り巻いて本丸と三の丸を隔てる堀の跡。
すっかり宅地化しちゃってるけど、確かに・・・堀だ!
さて、富士見櫓から今度は、発掘・整備された中ノ門堀跡に向かったところで・・・またも大雨!
しかも時間がすっかり押してしまってたので、お楽しみの「蔵つくりの街」の散策はあきらめて、特急に乗って都内へ向かいます。
新宿の戦国居酒屋で、お疲れ様のかんぱ~い(^^)/□
今回も初参加の方が2名。その上、なんと別の用事で関東に来ていた近畿支部のしろうさぎさんも、サプライズで急遽合流してくれました!
仲間の輪が広がるってうれしいですよね♪
城ガール隊関東支部納涼会の川越散策、半日お疲れ様でした~!