2017年7月16日日曜日

特別展「駿河の戦国大名今川氏」・・・からの花倉城攻め☆

昨年末から年明けにかけて静岡県の駿東地域にある富士・沼津・三島の3つの博物館が開催した「駿東・北伊豆の戦国時代」という共通テーマの合同展示に、後北条好きのワタシもそれっ!と飛んで行ったんですが(→その時の記事はコチラ)、それと時を前後して藤枝市郷土博物館でも「駿河を駆けた武田軍団展」という特別展を開催していました。

ところがその時、藤枝の展示はタイミングが合わなくて行けずに涙を飲んだのですが、今度はその藤枝で平成29年6月2日~7月17日まで「駿河の戦国大名今川氏」をテーマに面白そうな展示会が開催されているというので、居ても立っても居られず・・・


あと2日で会期が終わってしまうというめっちゃ暑いこの日。愛車に飛び乗って富士山を横目に新東名をひた走り、埼玉から藤枝まで飛んできちゃいました♪


今回の展示は藤枝市郷土博物館開館30周年記念特別展示ということですが、それと共に、平成27年(2015年)の徳川家康公顕彰400年記念特別展「徳川家康公と駿河」、平成28年(2016年)の特別展「駿河を駆けた武田軍団展」と続いた、戦国時代の駿河をとりあげるシリーズ3部作(?)の締めくくりでもあるとのことです。


これまで「駿河といえば徳川氏」のイメージが強かったかと思うのですが、今年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で今川氏が多く取り上げられているせいもあってか、「今川氏復権宣言」!チカラ入ってるなぁ~(^^;)

今回は、静岡県内に残っている今川氏歴代当主の発給文書を中心に県内初公開・駿河の南北朝動乱に関わる「駿河伊達家文書」(京都大学総合博物館所蔵)の県内初公開など、駿河今川氏10代の歴史を網羅した展示となっています。

また、もう1つの目玉は花倉の乱」に関する「岡部文書」(藤枝市郷土博物館所蔵)。

なので、長慶寺に伝わる雪斎長老の像や笈、彦五郎のお位牌、そして乱において最終決戦の舞台となった花倉城の大きなジオラマ(!)などなど、やはり花倉の乱や今川義元関連は充実です♪



展示会の常で、写真が撮れるのはこのロビーまで。
自分は古文書が読めないですし、出展物について図録で復習しようと思ったのですが、博物館の方に伺ったら、今回の展示会は図録なし!

残念ながら、今後も作成する予定もない、とのこと。後からでもなんとか作成してもらえないものでしょうか・・・(TT) (→ ただしHPチェックしててね、とコッソリ耳打ちしてもらったので、密かに期待☆)

さて、次は展示会でじっくり予習した(?)花倉城へ!



花倉城は、博物館から北西に約5kmほどにある標高297mの城山(烏帽子形山の支峰)の頂上部にある山城です。

この城のある葉梨地区が、南北朝期の観応3年/正平7年(1352年)に駿河今川氏第2代の範氏が駿河支配のために居館を建てて守護所を置いた葉梨庄で、花倉城はその詰城として築かれたとされています。

また、戦国期の天文5年(1536年)には、第8代の当主氏輝の急死により勃発した、栴岳承芳(後の今川義元)と、異母兄で花倉・遍照光寺僧侶の玄広恵探(花倉殿)との家督争い(花倉の乱)において、最終決戦の場ともなっています。

 

すでに山城オフシーズンの真夏なので一瞬行くのをためらったのですが、博物館の方々には特段止められもしない上、事務所の奥から案内図を出してきて懇切丁寧に行き方を教えてくれて普通に「行ってらっしゃい!気をつけて~♪」。

なので、市街地の城址公園のように山頂近くまで気軽に行けるのかな~と、のんきに愛車のハスラー(軽)で向かって見たら・・・
教えてもらった道は、舗装はしてあるものの軽トラ1台がやっとの広さな上に、めっちゃ急坂なくねくね道。しかも片側が藪や崖になっててもガードレール一切なし!


必死に登ってやっとの思いで城跡入口にたどり着いても、駐車できそうなスペースは車2~3台分くらいしかないので、大きな車や複数台での登城はあまりオススメできません・・・麓から徒歩でというのもかなりしんどそうですが☆(^^;)

案内板のそばに車を停めて、念のため長袖長ズボンに首筋タオルやスパッツをつけ、虫除けスプレーを吹きつけて林の中に入っていくと・・・


いきなり、立派な土橋!
この写真だと普通の道にも見えてしまいますが、渡りきって向こう側(城側)から振り返ると・・・



土橋なことがよくわかる!
しかも、土橋を渡りきったところは塹壕みたいに段々に掘られていて、土橋を渡ってくる敵に対する防御の体制をとっているようにも見えます。


城跡に向かう林の中はハイキングコースになっているのか、下草がよく刈り込まれていて、藪に突っ込むこともなく快適に歩けます。


そして、小さくてぱっと見ではわかりづらい遺構にも、ちゃんと案内標が建てられているので、お城初心者のワタシにも見やすいし、見落とすこともなくてウレシイ♪


2つ目の土橋の脇から落ちている竪堀。ココロの目で見よ?!


そして土橋のすぐ先には、斜面を登っていく・・・古道?!
すごく素敵な掘割状の道が城に向かって続いています。。。


登りきったところで道は二手に分かれ、左手方向には「烏帽子形山方面ハイキング道」の立て札。そして右手方向には「帯曲輪」の案内標。


この下の段、写真だと掘割道のようにも見えるところが、その「帯曲輪」のようです。
そしてこの左側に見える上の段に登って見ると・・・


そこが二の丸です。
ここでも、何本も案内標が立って、かろうじて薄~く残っている土塁を示してくれています☆


この二の丸からは、藤枝宿方面の見晴らしが良いです!
まわりの木々がなければ、きっと東海道の要衝である宇津ノ谷峠や焼津方面の港などもよく見えるのではないでしょうか♪


二の丸と本丸の間の見事な堀切。
両脇は谷に向かって落ちているようです。


すこし斜めから見ると、本丸から二の丸が見下ろされている感のある高低差!


本丸側から見ると、二の丸はこんな感じに見下ろせます。


本丸は細長い削平地で、突端に「物見台」とされる盛り上がりがあります。


この盛り上がりを乗り越えた向こう側には、少し下がったところから細い尾根道が少々続いており・・・


突端がこれまた櫓台になりそうな小さな削平地。


この先は藪やぶの急斜面で、城域はここまでといった感じです。
ちなみに、ここまで来たら斜面のどこかでばりばりっ!と草木をなぎ倒すような音?!

すわ、熊かイノシシか?!?! と、めっちゃ怖くなったので、鈴を鳴らして声を出しながら大急ぎで車まで退却しました☆(><;)))))


またも難儀なくねくね道を南へ下ると、そこは今川氏館跡や家臣団の屋敷跡などがある旧葉梨村花倉。「花倉の里」です。

帰る道筋なので、展示会でも出てきた今川氏ゆかりのお寺のいくつかに寄ってみることに。

まずは遍照寺。駿河今川氏第2代範氏が建立し、玄広恵探(花倉殿)が住していた遍照光寺が焼失したあと、武田信玄に再興を許されたというお寺です。


境内には、範氏とその嫡子・氏家の墓石とされる五輪塔が並んで安置されています。
案内板によれば、それぞれ元の埋葬地点は別の場所であったようです☆

次は、駿河今川氏第3代泰範が建立した長慶寺。


きれいに掃き清められた庭の枯山水が素敵~!
お寺の奥には泰範の五輪塔と、雪斎長老の無縫塔が安置されています。


甲相駿三国同盟の締結に尽力するなど今川義元の右腕として手腕を発揮した太原雪斎は、晩年この長慶寺に隠棲し、古くなった堂宇の再建を果たした後、弘治元年(1555年)に生涯を閉じています。

ここまでで、今回の特別展「駿河の戦国大名今川氏」めぐりは終了!
展示会自体も7月17日で終了しましたが、圏央道と東名道がつながって静岡方面に来やすくなったし、展示会でせっかくいろいろ勉強したので、またじっくり今川氏関連の史跡を回りに来たいですね~♪

その時までには、今回の展示の図録が作られてるといいなぁ・・・☆



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