ある時、ワイン大好きなナワバリストの西股総生先生と、秩父にもいいお城がいっぱいありますね~という話になりました。
ところが、秩父は結構険しい山の上のお城が多いので、「どうせなら温泉を楽しんだり、秩父のワインを部屋飲みしたりの泊り込みで、がっつり回りましょう~!」と盛り上がり・・・
この日、西武秩父駅のロータリーに集合したのは、先生リクエストによる「健脚かつ藪こぎを厭わない」精鋭の面々。
秩父城攻め合宿一泊二日の行程の始まりです~!
1日目。tantanさん号とあきさん号に分乗した6人の精鋭部隊がまず向ったのは、秩父鉄道武州日野駅の南の日野山頂にある熊倉城(別名:日野城)。
ちょうど合宿の2日前と1週間前に雪が降ってしまい、それでも秩父市内は全く雪が残っていなかったので、とりあえず合宿は強行開催することにして集合しましたが、振り返ると武甲山は真っ白!
イヤ、武甲山は石灰岩採掘の山肌が露出してるんで普段から白いんですが、それが雪化粧してさらに真っ白に・・・(^^;)
なんで山道は大丈夫かなぁ~と内心ドキドキ☆
2日目参加のこばたかさんによれば、城への登り口までは車もほとんど通らないような林道だというし・・・
まあ、ダメもとで行けるところまで行ってみよ~!と武州日野駅の手前から舗装された山道を登っていくと、やっぱり集落が途切れたあたりからこの積雪!!
しかもこの雪道、アイスバーンの上に新雪が乗っているので見かけよりもツルツル。
先行のあきさん号が、運転手あきさんの超絶テクによりそれでもなんとか道を登っていき、ふと見ると後続のtantanさん号がいない!
あわてて車を停めて、あきさん号に乗っていた西股先生、豪士さん、ワタシの3人で道を滑り降りて?行くと、なんとスタックして動かなくなってしまったtantanさん号のそばで途方に暮れるtantanさんとサイガ師匠。
それからみんなで押したり引いたりしたものの、1度止まってしまったら登るのは不可能、と判断。
tantanさん号はUターンできる場所まで200mほど雪の坂道をバックで(!)もどり、あきさん号も上でUターンして、tantanさん号まで戻って、その場所からとにかく城の登り口である山頂直下の峠まで歩くことに。。。
しかし、あきさんもtantanさんも運転上手だなぁ~☆
ところが、秩父は結構険しい山の上のお城が多いので、「どうせなら温泉を楽しんだり、秩父のワインを部屋飲みしたりの泊り込みで、がっつり回りましょう~!」と盛り上がり・・・
この日、西武秩父駅のロータリーに集合したのは、先生リクエストによる「健脚かつ藪こぎを厭わない」精鋭の面々。
秩父城攻め合宿一泊二日の行程の始まりです~!
1日目。tantanさん号とあきさん号に分乗した6人の精鋭部隊がまず向ったのは、秩父鉄道武州日野駅の南の日野山頂にある熊倉城(別名:日野城)。
ちょうど合宿の2日前と1週間前に雪が降ってしまい、それでも秩父市内は全く雪が残っていなかったので、とりあえず合宿は強行開催することにして集合しましたが、振り返ると武甲山は真っ白!
イヤ、武甲山は石灰岩採掘の山肌が露出してるんで普段から白いんですが、それが雪化粧してさらに真っ白に・・・(^^;)
なんで山道は大丈夫かなぁ~と内心ドキドキ☆
2日目参加のこばたかさんによれば、城への登り口までは車もほとんど通らないような林道だというし・・・
まあ、ダメもとで行けるところまで行ってみよ~!と武州日野駅の手前から舗装された山道を登っていくと、やっぱり集落が途切れたあたりからこの積雪!!
しかもこの雪道、アイスバーンの上に新雪が乗っているので見かけよりもツルツル。
先行のあきさん号が、運転手あきさんの超絶テクによりそれでもなんとか道を登っていき、ふと見ると後続のtantanさん号がいない!
あわてて車を停めて、あきさん号に乗っていた西股先生、豪士さん、ワタシの3人で道を滑り降りて?行くと、なんとスタックして動かなくなってしまったtantanさん号のそばで途方に暮れるtantanさんとサイガ師匠。
それからみんなで押したり引いたりしたものの、1度止まってしまったら登るのは不可能、と判断。
tantanさん号はUターンできる場所まで200mほど雪の坂道をバックで(!)もどり、あきさん号も上でUターンして、tantanさん号まで戻って、その場所からとにかく城の登り口である山頂直下の峠まで歩くことに。。。
しかし、あきさんもtantanさんも運転上手だなぁ~☆
やっと、本来は車で行き着くはずだった、熊倉山と城山の間の鞍部にある熊倉城の登り口に到着~(^o^)/
ところが・・・
ゆ、雪がない!!
これが、山城を攻めるとき特有の、とても判断に迷うところなんですよね☆
昨年の豪雪の時にも経験したんですが、山の斜面の向きや木々の茂り具合、つまり日当たりの違いによって雪の残り具合が全然違うんです。
だから雪はもう溶けてしまっただろうと思っていくと、場所によって膝くらいまで残っていたり、その反対だったり・・・
今回は、車を停めた時点ではかなりダメだろうと思っていたんですが、登ってみたらラッキーでした♪
ただし、思い切り「熊出没注意」の看板アリなので、熊鈴をじゃらじゃら鳴らしながら、いよいよ城域突入~!
この縄張り図は「戦国の境目」(梅沢太久夫氏著)に掲載されていたものです。
今回はこの図の右側(南東方向)から城域に入りました。
城への登り口からはずっと細尾根が続き、そして、思ったよりかわいくてあれ?って感じの「堀切5」を経て、「堀切4」!
あきさんとtantanさん、土橋上で写真を取りまくりです~♪
光の加減で、土橋を渡ってから振り返った方が堀切と土橋の感じ、そして対岸との高低差がよくわかりますね~☆
この土橋を渡ると「2の郭」。北東側斜面に細長く腰郭を配してはいるものの、全体的にのぺっとした平坦地です。
「2の郭」と「本郭」との間には幅の割に浅い堀切が横たわっていて、土橋がかかっています。
もしかしたら元はかなり深かったのが、埋まってしまったのかもしれません。
土橋の上に天然の木橋がかかってる(笑)
その向こうに見える本郭の土塁、こうして見るとしっかり横矢がけ効いてるなぁ・・・☆
その本郭の土塁を郭内から見たところ。
いちばん高い部分はやはり土橋と郭南西側斜面に対する櫓台の役目を果たしているものと思われます。
さて、この熊倉城のとても不思議なところなんですが、この熊倉城の竪堀はどういうわけか南西側にしかないんです。
その上、その竪堀のある南西側斜面は竪堀がなくても横移動や展開はできないくらいの急斜面で、反対にどちらかというと緩斜面になっている北東側斜面には竪堀はありません。。。
これって、どういうことなんでしょうね☆
とにかく、南西側斜面の竪堀は覗き込むのも怖い感じです(^^;)
文明8年(1476年)から文明12年(1480年)にかけて起こった「長尾景春の乱」に関して、「太田道灌状」に長尾景春が籠城し太田道灌が攻めたという「日野要害」「日野城」として記されているのが、この熊倉城だということです。
確かに、独立した山の急斜面と細尾根で囲まれた山頂に、しっかりとした連郭式で造られている城郭で、非常に堅固な要害なんだろうな~という感じ。
それだけに、この竪堀は謎ですね~☆
さて、本郭と北郭の間の堀切はいきなり雪!
数日前に降った雪がまだしっかり残っているのは、本郭の土塁を北に越えると北側斜面になって、日当たりが一気に悪くなるせいなんでしょうね、きっと。。。
堀を渡ると「3の郭」。なだらかな斜面になって下っていて、その先端がちょっとした枡形様になっています。
雪でよけいにわかりにくくなってますが(^^;)
下から城に向って登ってくると、まずこの横堀にぶち当たって直進できません。
で、進路を曲げさせられて右手方向から土橋を渡る・・・と。
土橋の左側の横堀と右側の横堀が食い違いになっているので、必然的に通路が左方向に曲げさせられます。
で、曲がるとそこが枡形になっていて、真正面の土塁の上からお出迎えされちゃうという(^^;)
そして、虎口の先にある、地面が多少崩落した先に延びる竪堀。結構大きい!
ホント、あきらめずに熊倉城まで来てみてよかった♪
ただし、予定外の雪中行軍のおかげで、この段階ですでにお昼を回ってしまいました。
予定がかなり押してしまったので、昼食は各自コンビニで買ったおにぎりをほおばりながら車まで走り降りて、次は横瀬根古谷城です~!