西武池袋線稲荷山公園駅のすぐそばにあって、普段は常設展示で狭山の太古から近現代までの歴史的資料を展示している、いわば「郷土資料館」的な施設です。
で、常設展示のほかに年に2~3回企画展を開催していて、これまでは恐竜だったり鉄道だったり文明開化だったりと、戦国時代とか「城」に関連したような企画展は見当たらなかったのですが・・・
今年に入ってからTwitterのTLに流れてきたツイで、11/29~3/1の冬季企画展として「城山砦と鎧展」というのが開催されていて、特に鎧の展示がなかなか充実していてよかった♪というのを見かけまして。
これは行ってみようかな~と思いつつ、自宅から近く(隣町)だし、いつでも行けると思って行くのを延ばし延ばしにしていたのですが、やっと買い物ついでに行ってみることにしました(^o^;)
で、車をとばして40分ほど。企画展・常設展示共用で150円の入館料を払って展示室の中に入りますと・・・
目の前にいきなり堀底から長柄槍で攻めに入っている足軽を、土塁上から鉄砲足軽が狙ってる~!
この復元模型は「城山砦(柏原城)」の堀と土塁を推定実物大で復元したものだそうです。
砦自体は、堀底から土塁の上まで約5m、堀の深さ平均3mに2mの土塁で高低差を造っています。
また、堀幅の最もひろいところで7m、平均は約4mあります。
現在の遺構ではかなり埋まってしまってたりして、もともとの状況をなかなか想像しきれなかったりしますが、この復元で改めて、堀と土塁の規模と、実戦の時にはどんな感じ(位置関係)だったかよくわかります!
「城山砦(柏原城)」というのは、埼玉県の狭山市を流れる入間川の河岸段丘上にある中世城郭で、俗に「河越夜戦」と呼ばれている、天文15年(1546年)の北条氏康軍と山内北条憲政・扇谷上杉朝定・足利晴氏の3者連合軍による河越城争奪戦の際に、上杉憲政が陣を敷いた場所ともいわれています。
狭山市のあたりは古代の武蔵国に所属して、南北に東山道が造られていました。
また、北方の鳩山町や寄居町の窯で焼かれた瓦や土器を武蔵国府に運ぶ産業道路が鎌倉街道として整備され、軍事道路としても利用されていました。
東山道、鎌倉街道と城山砦の位置関係を示す航空写真。
しかし~☆ 小さい上にひもがかかっちゃってるので、よくわからない(^^;)
市内を縦(南北)に走る2本の道(緑の線)のうち、左側が上州に向う鎌倉街道上道(本道)、右側が川越に向って伸びる鎌倉街道堀金道(枝道)で、城山砦は堀金道から左(西)にそれて入間川を渡ったところに位置します。
城跡のある河岸段丘の上に立つと、かつての入間川宿をはじめ、入間川対岸の平野部がひと目で見渡せます。
現地説明版による城山砦の縄張りはこんな感じ。
南側の低地に対して、切岸で傾斜を急にして防御しています。
「現在地」と書いてあるあたりは現在遊歩道の入り口になっていて、道も蛇行して緩やかになっていますが、かつては河岸段丘び上の本郭と二の郭の間の堀からまっすぐ竪堀を落としていたのではないでしょうか。
そして、本郭の北側は所々折れがつくられ、本郭の虎口に対してもしっかり横矢がかけられるようになっています。
この縄張り図だと平面的でわかりづらいのですが、実は今回の展示ではこんなジオラマが・・・!
・・・あ、写真については、展示室内に「写真撮影禁止」の張り紙がなかったので、あれ?と思って念のため博物館の職員さんに声をかけまして、撮影とブログ掲載について「商業目的でなければOK」の了承を得てます~!
普通は博物館なんかでもジオラマ撮影禁止のところが多いんですけどね~。
ホント、うれしいです♪
ちなみに常設展示の方には「撮影禁止」の張り紙があります。一般的には制限が厳しい企画展の方がここでは制限が緩いのは、図録がないからなんでしょうかね~☆
この博物館から城山砦まで車でほんの10分程度なので、このジオラマをじっくり見た後で現地に飛びたかったのですが、この後鎧の展示(伊澤昭二コレクション)の方にどっぷりハマッてしまって(鎧展の方は「城ネタ」ではないので、もうひとつのブログ「natchdesの雑記帳」をご覧ください)、すっかり日が暮れてしまったので、またの機会に再踏査いたしますね♪