2013年2月11日月曜日

今井城に対する砦? ・・・藤橋城

さて、今井城のすぐそばに、これまた小さな「城址」があります。

前回2/10のブログ「青梅三田氏の防衛線」http://natchdes.blogspot.jp/2013/02/blog-post_10.html に載せた地図の③にある「藤橋城」です。

今井城との距離は1.5~2km程度。間に今井城や勝沼城の堀の役目も担っている霞川を間に挟んで「対峙?」しています。

本当に小さな、それこそ「城」というよりは「砦」というくらいの規模の遺構で、明確な土塁を備えた郭と腰郭が1つずつ、あとは農道を挟んで土塁があるくらい。

規模はともかくとして、その「位置」がとっても気になったので、年が明けてからちょこっと買い物がてら立ち寄ってみました。


この藤橋城、現地案内板によると、『武蔵名所図会』からの引用として、平山越前守虎吉の住居であり、平山氏は北条氏照に仕えた人物であった、とあります。また、近隣には平山右衛門大夫や岡伊賀守が城主であった檜原城、また平井村・大久野村辺りが平山氏の領有地区であったことから、藤橋城の平山越前守も、この平山氏の一族であったと考えられる、とも書いてあります。

また、一説には滝の城を交替で守った清戸三番衆に挙げられる藤橋小三郎の城とも考えられているようです。この藤橋小三郎は平山氏の一族なので、いずれにしても平山氏による築城説が濃厚のようです。
 

さて、その藤橋城に着いてみると、南側の畑や住宅地のある台地の端にあるとても小さな公園が、藤橋城の単郭。



郭(公園)の端にはそれなりの土塁がぐるりと巡らされ、その下は昔は湿地帯だったと思われる田んぼが広がり、その先に霞川とその向こうの丘陵地、そして・・・



今井城~?!

住宅地の陰に若干隠れてしまってますが、今井城のあたりが見えます!

まぁ、だいたいこのあたりはまだまだ農村部であまり高い建物ないですし、そもそも今井城と藤橋城の間は歩いても20分程度ですからね~

藤橋城が後北条側、今井城が三田氏側、ということになると、その時期この2つの城はこんなに近場で対峙してたんだなぁ~、とゾクゾクしてきます(笑)

というか、藤橋城はこんなに小さな城ですから、むしろ「城」というよりは今井城を見張るための「砦」として作ったのかもしれないな~などと妄想してしまったりして。。。



何にしても、これからこのあたりの城郭群についてはもう少し歴史背景なんかも調べなきゃですね。

そうしたら、もっと違う展開も見えてくるのかもしれませんね・・・わくわく☆


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2013年2月10日日曜日

青梅三田氏の防衛線?(勝沼城)

そんなわけで(どんな訳で?笑)、ちょっとお散歩のつもりだったはずなのに、雨も降りそうな夕方近くについフォロワーさんのリプに誘われて、いきなり勝沼城という青梅の山城の1つに駆け上ろうという暴挙に出てしまいました・・・

勝沼城は前回のブログでもちょこっと触れた、青梅三田氏の居城だったお城です。
縄張りはこんな感じ。


光明寺というお寺の裏にあって、城域の斜面が墓地にすっかり侵食されてしまってるような外観です。

青梅三田氏というのは青梅近辺を地盤に山内上杉氏の一武将として台頭、やがて天文年間(16世紀前半)頃には高麗郡・入間郡方面までを領有して勢力を伸ばすようになった有力領主です。

やがて山内上杉氏の勢力が衰えると小田原の後北条氏の傘下に入り他国衆に列せられていた三田氏は、永禄3年(1560年)に越後の長尾景虎が上杉憲政を擁して関東に進出してきた際、再び上杉方につきます。

そして景虎撤兵後、上杉方についた関東の諸将の多くが再び後北条氏の傘下に入る中、三田氏は上杉方として後北条氏に抵抗を続け、最後には永禄6年(1563年)に詰めの城である辛垣城にて攻め滅ぼされました。

この辛垣城と今回まわった今井城、勝沼城の位置関係が、みごとに一直線!
それも丘陵地の南面に、川を前面に立地している・・・つまり南側=小田原方向というわけです。



ちょっとわかりづらいですが地図の上に赤ペンで手書きしてある①が今井城、左のほう②が勝沼城です☆

この地図だと高低差がよくわからないんですが、この辺が生活圏なんでなんとなくわかるのが、「いかにも南の平野部からの攻めに対して横一直線に『とおせんぼ』してる感じだな~ということ。

でも、この背後の丘陵地、青梅のこのあたりではそれほど急峻ではないので(詰めの城にあたる辛垣城あたりはかなり高い山になっているけど)、背後取られたら一発アウトなんじゃないですか~?


ま、いずれにせよ勝沼城は「関東の覇者」といわれる後北条氏に抵抗しまくった「地元の名族」三田氏の本拠ってわけなので、どんなところかな~♪とちょっとわくわくな感じで乗り込んだわけですが・・・

着いたときには、お日さまはもう山の端に隠れ始め、そうでなくてもお寺の裏山で杉の木が鬱蒼と茂っている感じの山の中のこと、なんとなく薄暗くなりかけててちょっと怖い感じ。

とにかく光明寺の裏側、師岡神社の奥の墓地の脇に車を止めて、墓石を横目に草ぼうぼうの細道を駆け上がり・・・

1郭のすぐ南下にある馬出し様の小郭からの眺めはこれ。


すぐ南側を今井城の方へと続く霞川が流れていて、天然の堀の役目を果たしています。
後は・・・





1郭の土塁に1郭から2郭への虎口と、よくわからないけど土橋。
そして、この土橋の下から山の下へ向かってまっすぐ落ち込んでいく堀。

時間がなくてじっくり歩けなかった(文字通り駆け抜けた)ので、いろいろな遺構をちゃんとみることができなかったのが惜しかったです。。。

家からそんなに遠くないし、これはもう一度来なくちゃいけないな・・・(^^;)
次は、ここから三田氏が移っていって立てこもった「詰めの城」辛垣城のハイキングもセットで、ね。

2013年2月7日木曜日

東京都のはずれの謎な城跡 ~今井城~



名古屋城めぐりに飛んでいく数日前の、病院に行くので休みを取ったある日。

診察と処方が終わって、午後、ぽっかり時間が空いたのでまずは腹ごしらえ。

地元飯能の駅前にある、インドの人が経営する小さなカレー屋さんのナンは、注文を受けてから目の前で焼いてくれてめっちゃ美味しい!

カレーも結構ちゃんとしたインド風で、なかなか美味しくてそこそこ量もある上、お値段もとてもリーズナブル。

いつも頼むAセットはカレー1種類とサラダ、ウーロン茶、ナンorライス(ナンは1枚までおかわり無料)で680円なり。

(RAJA 食べログ)

http://tabelog.com/saitama/A1106/A110603/11020779/


でも、この日は久し振りだったので、ちょびっとだけ奮発してカレー1種類と、サラダ、ナンorライスにソフトドリンク、チキン、ヨーグルトデザートで780円のセット。

ソフトドリンクはラッシー、ナンも同じ大きさのをもう一枚頼んで食べまくったら・・・むちゃくちゃお腹いっぱいで食べ過ぎた~☆




これはやばい・・・何か少しでも身体動かさなくちゃ!



つらつらと考えるに、このお店のある地元飯能の市街から南に行くと、ちょうど青梅・入間・飯能の堺目にあたるところに、東西に長く伸びる「加治丘陵」という丘陵地帯があって、その南斜面に「今井城址」ってカーナビに出てくるよね。。。

これまでに行ったこともないし、時間も中途半端に空いてしまったので・・・というわけで、急遽、その今井城趾を散策することにいたしました。

どういう理由付けじゃ(笑)



今井城跡は加治丘陵の南側にある小さな城跡です。
縄張りはこんな感じ。(日本城郭大系5より)





さっそく飯能市街地から車で10分ほど、カーナビに従ってのこのこ行ってみると・・・

あったー! 住宅地に面した道に沿って、一目で城址とわかるこんもりとした小山☆
車に乗っていても、すでにしっかりとした土塁が目に入ります。

駐車場はないので、城跡の北側から住宅地に入って、「城の腰」に隣接するあたりに車を寄せて停めると、もう目の前に案内板が。。。





この今井城の歴史は、とても謎なのです。

この今井城を居城としていた青梅今井氏は、今井左衛門径家以後に数代に渡ってこの城に居住して天正年間(1573年~1592年)に断絶したといわれていますが、詳しいことはよくわかっていません。

一説によれば、「むさしの城ものがたり」という本に、室町時代から土豪の今井氏が在城していて、戦国期に、青梅勝沼城の名族三田氏に従って北条氏へ抵抗し、敗れ、没落したのではないかとあるようです(確認はしてないのですが)。

ただ、発掘調査によって鎌倉末期から南北朝期の板碑や墓石が出土して、どうもそれらが故意に埋め立てられてその上に土塁が築かれているらしいというのがわかったということです。

その土塁の下に埋め立てられた板碑の一番新しいものは1512年(大永2年)のものだということで、この時期以降にどうやら今井地域の支配権が交代して城主が代わった可能性があり、改築も行われたものと考えられているようです。

この大永年間の頃には、今井城のある青梅から入間にかけては三田氏が勢力を確立しているので、大永2年頃にはこの三田氏の城になっていて、改築されたのかもしれません。

またはこの三田氏は越後上杉氏に従って小田原の後北条氏に最期まで抵抗して1563年(永禄6年)に滅ぼされているので、天正年間に今井氏が断絶したということであれば、今井氏は三田氏が滅亡した後北条氏の支配下に入って、天正18年(1590年)の秀吉の小田原攻めで滅亡した・・・とも考えられます。

となると、城の改築は後北条氏の影響が濃いのかもしれません。、

まぁ、どちらにしても確認はされていないので、謎の一族&お城、というわけです。

が、そんな、いわば「無名」のお城で、しかも住宅地のど真ん中にあるにも関わらず、感動的なくらい遺構がしっかり残ってる~!

この左側の写真は、城の腰と2郭の間の堀です。中世のお城らしい堀や土塁の折れまでちゃんと確認できます。



この堀をくるっと回って南側に出たところが右側の写真で、この南側は川に向かってそれなりに高低差があるのですが、先ほどの堀がそのまま緩斜面部分の虎口につながっています(真ん中の写真)。

この南側の緩斜面の東西両側は高低差のある急斜面になっていて、西側の急斜面下にあるこの地区の自治会館裏から今井城の散策路が城の腰に向かって伸びています。



真ん中の写真は本郭です。周りを低い土塁が取り巻いています。

右側の写真は本郭の虎口と外側の堀です。本郭の中から見ると土塁はかなり低いのですが、外側の堀底からの高さはなかなかのものです。



あまりにキレイな遺構に「きゃほーい」となってTwitterで写真をせっせと流していたら、フォロワーのしみずさんから「すぐ近くに勝沼城といういいお城がありますよー」とリプが来ました。

勝沼城というのは、上で書いた青梅三田氏の居城だったところです。
行きたいなぁ・・・時間はもう午後3時近く。ついでにこの日のお天気は今にも雨の降り出しそうなどんより曇り空で、いつもよりちょっと暗め。

勝沼城は山城なので、3時から登るのはちょっと冒険なんですが・・・まだ3時前だし、すぐ移動すればすぐ着く位の距離だし・・・

さくさく歩けば行けるかなぁ・・・えーい、迷って時間つぶすくらいなら行ってしまえー!

というわけで、三田氏つながりで行ってしまった勝沼城の話は 続きます・・・





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2013年1月29日火曜日

名古屋城外郭弾丸道行(なごやじょうがいかくだんがんのみちゆき)

われながら、よくやるよなぁ・・・とは思ったんですが (*^_^*)

もう「昨年」のこととなってしまいましたが、日頃twitterでやりとりをしている城好きさんたちの「忘年会」、一昨年は都内で開催したようなのですが、昨年末は名古屋での開催という連絡がツイプラに載りました。


名古屋かぁ・・・実はちゃんと行ったことないし、行きたいなぁ・・・


でも、旅費も時間もそれなりにかかる遠さですし、行くなら忘年会だけなんてもったいないので、できればせめてバスを使って旅費を安く上げて、一泊二日で名古屋近辺のお城めぐりも入れたいところですが、年末の、それもクリスマス連休に家を空けるのはなかなかに勇気がいりますよね。

ただでさえ日ごろから,、家事はばぁちゃんに押し付けて仕事に行っちゃってるし。。。
ご案内の載ったツイプラを眺めて悩むこと数日・・・

忘年会の前に半日で名古屋城の外郭を回らないか、というお誘いがツイプラに載ったのを見て、にわかに決心が固まりました。

えーい、名古屋城&忘年会、行きかえりとも「のぞみ」利用で日帰りしちゃえ!




というわけで、人生初名古屋城。
それも、天主もしゃちほこも見たことないのに、いきなり本丸には行かずに外郭めぐり~(^^;)

 
名古屋まで我が家から約4時間かかるので、朝7時に出ても着くのは11時くらいです。

午前中から名古屋近辺のお城をめぐっていた城ガール隊の流星隊長、kaiさん、美姫さんに熱田神宮で拾ってもらい、写真の信長塀を見て(にゃんぶどのも記念撮影~!)、お参りと昼食の後、いよいよ集合場所へ。





さて、大都会名古屋のど真ん中にある名古屋城の縄張りはこのようになっています。

普通、「お城」といえば誰しも「金のしゃちほこ」で有名な天守のある本丸と二の丸や西の丸等を指すのでしょう。

でも・・・!現在は官庁街となっている広大な三の丸の外側(写真の縄張り図の茶色部分)に土塁や空堀といった遺構がしっかりと残っているので、今回はこれをたどってぐるりと一周しようというわけです。



集合場所の名城線久屋大通駅の改札には、この名古屋城外郭めぐりに参戦する城好きさん十数人が集結。

地上に出て、久屋大通りをみんなでぞろぞろと歩いていくと・・・

正面にいきなり空堀&巨大な土塁!
今回は大都市のど真ん中に所在するめちゃメジャーな平城だし、忘年会が控えているということもありで、まさか土塁登ったりを想定してないスタイルのはずなんですが、さっそく土塁大好きメンバーが、いきなり登る登る・・・! (^^;)



ほ、堀でけぇ・・・


土塁の大きさにもびっくりだけど、堀の大きさにも圧倒されます。。。





よくよくたどっていくと、堀の折れもしっかり残っています。しかも、堀底が広い!もとはきっと水堀だったんでしょうね・・・
参加メンバーもどこかの駐車場にまで入り込んで、堀にかぶりつきです(笑)



外郭の東側を空堀に沿って北上すると東門の跡にたどり着きます。

ここは縄張り図を見るとどうも枡形になっていたようなのですが、行ってみると土塁は残っているものの、枡形の面影はどこにも見当たらず・・・



あーでもない、こーでもないと地図と首っ引きでどれがどの土塁にあたるのか推理するのも、また楽し。

昔はこういう風に土塁が通っていて、どういう風に残っているのか、なんとなく納得したところでそのまま東門の中に入って三の丸を内堀に向かいます。

しばらく歩くと名古屋市庁舎のある大きな交差点。なんかお社みたいなヘンな建物があるなぁ、と思ったら、地下鉄名城線市役所駅の入り口でした。。。

市役所庁舎や名古屋城に雰囲気をあわせてるのかしら?



ここまで来ると、堀も石垣も、う、うつくしい・・・(☆▽☆)
この石垣の向こうは庭園としてしっかり整備された二の丸ですからね~
って、私は行った事がないんですけど(^^;)

そのまま二の丸には入らずに、しっかり整備された枡形虎口(左側の写真)を横目に見ながら堀に沿って北上し、名城公園側の水堀へ。




真ん中の写真は何を写しているのかよくわからないんですが(笑)、対岸の石垣の上の低い塀に小さな穴がところどころ開いているがわかりますでしょうか?

これは「南蛮たたき塀」といって、鉄砲狭間なのだそうです。
私はそれを聞いてつい「幕末の頃のものですか?」と聞いてしまったのですが、実は名古屋城築城の頃に作られたものだそうで、名古屋城でもここにしかないのだとか。

この「南蛮たたき塀」のすぐそばに切れ込んでいる堀(右側の写真・・・逆光でわかりにくくてスミマセン)の先が緊急時の城主脱出口といわれている「埋門」に続いているようなので、城主が船で脱出するときに援護射撃をするつもりで鉄砲狭間を作ったのかもしれませんね。


そして・・・本日のメイン、西日に映える清洲櫓!
(左の写真)


3層3階、入母屋(いりもや)造り。御深井丸(おふけまる)の西北隅に建ち、「戌亥(いぬい)櫓」ともいわれています。
この櫓だけで、十分他のお城の天守なみの風格ですよね☆
水に移る姿も、なんとも優美。

そのまま水堀に沿って南に折れて、堀ごしに名古屋城の大天守を眺めながら進むと、途中右側の写真のような遺構に出会います。

「辰之口水道大樋」というそうで、堀の水位を一定に保つための仕掛けだったようですが、今は埋められてしまってます。


そのまま進むと、まもなく西側の虎口と思われる石垣に出会います。
このあたりの石垣には、結構さまざまな刻紋が目につきます。




これらの刻紋は工事を担当した大名や家臣の印だということですが、どれがなにやら・・・
これはね、なんてわかったらカッコいいんでしょうけどね~(^◇^;)

この虎口から東に折れて城内に入ると、すぐに西の丸に入る橋です。
でも、今回はそちらには入らずに、その南側の能楽堂の前庭にいらっしゃる加藤清正公にご挨拶。




この清正公の像は、銘文によればカゴメが創立80周年の記念に建てたもののようです。
なぜ、カゴメが・・・?

この像の傍らには石垣等に使われた石の産地「篠島の矢穴石」が展示されています。
「矢穴」というのは石を割る際につける穴のことです。やっぱり清正公と築城の大石は切り離せないんですね~☆


さて、延々名古屋城の外郭をぐるーっと回ってきて、いよいよ大詰め。
大手二之門の前からまっすぐ南下して、名古屋城の大手側の出入り口にあたる本町門です。



縄張り図によれば、かなりの規模の枡形をもつ虎口だったようのですが・・・ここも!東門同様に道路で枡形は跡形もなくつぶされていて、食い違いに残された石垣がかろうじて虎口の面影を残している感じです。

しかし、さすがに名古屋城!石垣に使われている石の大きさといったら・・・

なお、名古屋城の外郭の堀底は、一時期鉄道が走っていたということです。
右側の写真は、その鉄道の駅ホーム跡だそうです。「名古屋鉄道株式会社所有」と書いた札がぶら下がっているので、それと知ることができます。

・・・というわけで、名古屋城の外郭めぐりは終了・・・お疲れ様でした!

なんたって徳川御三家筆頭格のお城ですから、その壮大さはなんとなく創造はしていたものの、実際に歩いてみて初めて「実感!」です。。。

土塁も堀も思った以上に大きいし、なんてったって、広い~☆

どれくらいの距離を歩いたんでしょうか、さすがにデスクワークばかりで日ごろ鍛えていない足は疲れきって棒のよう。へろへろになったノドに忘年会のビールと城好きさんたちのお城談義が染みました~♪

8時過ぎには店を出て、酔っぱらいは一路東京へ。帰宅は日付の変わった頃。
本と、弾丸の道行。我ながら、まぁ、よくやりました(笑)