2013年2月21日木曜日

とっても千葉(亥鼻)城・・・

このところ、偶然いくつかの県庁所在地への出張が続いたんです。

県庁所在地ってその地方の中心地なわけなので、県庁から割と近い場所に中~近世の城址があったりする(中には県庁自体が城跡に建ってる!)ことがあるんですよね☆

まぁ、東京近県の場合は、埼玉県(浦和)みたいに江戸時代になって中仙道の宿場町として栄えた天領であったとか、神奈川県(横浜)みたいに江戸末期以降幕府の開港地として整備されて栄えた・・・なんてことで、県庁のすぐそばに「城らしい城」が見当たらなかったりもします。

だからこの日、千葉県庁の割と近くで仕事をしながらも、まさか千葉の中心地にお城なんてなかったよね~なんて暢気にビルの窓から外を眺めてみたら・・・

お、お城の天守閣が見える~!

あわててパソコンをたたいてみたら、出てきました・・・千葉(亥鼻)城。
桓武平氏の流れを汲み中世の房総半島を中心に栄えた千葉氏が居城としていた城のようです。

千葉氏がもっとも勢力を伸ばしたのが鎌倉時代。千葉介常胤が石橋山で敗北した源頼朝を庇護したことから信頼を得て、奥州や九州にまで所領を広げたのだそうですが、いわゆる「戦国時代」前夜に勃発した「享徳の大乱」にからんで千葉氏本宗家は滅亡、この千葉(亥鼻)城も炎上しまもなく廃城になったとのこと。


んんん?


そのころって、こんな立派な天守のあるお城なんてなかったんじゃないの~?

地図を検索すると、自分のいるビルから徒歩15分程度の距離。
仕事を終わらせてから、さっそく走って行くことにしました♪

******

千葉(亥鼻)城の「天守閣」は周りの住宅地や官庁街のある場所よりもかなり高台になっている場所にありました。

都川という川のある台地北側の低地から駆け上っていくと、小田原城にそっくりな江戸時代風の層塔式天守が、どーん!

しかもお城の前で「千葉介常胤公」が自分のお城(?)に向けて矢を放とうとしてる・・・


う~ん、これはないよな(笑)


ちなみにこの「お城」昭和42年に作られたコンクリート製(大成建設施工!)だそうで、中は千葉市の郷土博物館になっています。

郷土館では千葉氏に関する資料展示を中心に歴史・文化についての展示が行われていて、なんとプラネタリウムもあります。。。

本当は中に入って最上階の展望台から周囲の地形なぞも眺めてみたかったのですが、閉館時間の17時を過ぎてしまっていたので断念。

とりあえず外側から「近世城郭風」の建物にのけぞってしまったので(笑)、改めてこの城域での中世遺構を見ることに。






千葉(亥鼻)城の城域は現在亥鼻公園となって整備されている主郭部(外郭部のうち現在文化会館が建っているあたりも含む)から千葉大学のある外郭部までの広大なものであったようです。

でも、外郭部のあたりは大学の敷地となっていたりすっかり都市化がすすんでしまっていたりして、ぱっと見には「城」の面影はどこにもみられません。

亥鼻公園にある主郭部には中世のものと思われる3つの郭といくつかの遺構が見られます。

Ⅰ郭は亥鼻公園の一番西端に細長く突き出した小さな郭です。


Ⅰ郭には現在神明社が祭られています。
左側の写真はⅡ郭の入り口からⅠ郭の 入り口?(神明社の鳥居)と郭の間の堀切を見下ろしているところです。

この写真でもⅠ郭はⅡ郭よりも低い位置にあることがわかるかなと思います。

鳥居を入ると神明社の境内となっている細長くて狭い空間。その端は土塁とも思われる盛り上がりに囲まれています。

また、鳥居をはいってすぐに「史跡猪鼻城址」(亥じゃなくて猪!)の石碑がありますが、位置的にみてもどうもⅠ郭は本郭ではないような気がします。
どちらかというと物見台が置かれていた場所という方がしっくりくるかも・・・


堀切からⅡ郭に上がってきて虎口を入るとすぐ右側に、左の写真の土塁があります。




上が少し広くなっていて、もしかしたら櫓台ででもあったのかもしれないという感じです。

Ⅱ郭の周囲はしっかりとした土塁にぐるっと囲まれていて、かなり広い空間になっています。
位置的にも、もしかしたらこのⅡ郭が本郭であったのかもしれません。

真ん中と右側の写真はⅡ郭をⅢ郭側に出たところです。本来なら堀切で仕切られていたのかもしれませんが、現在では道が左右に横切っているのみで、もしかして堀切の名残?程度の面影です。

Ⅱ郭をⅢ郭側から眺めたのが次の写真。


そしてⅢ郭には、先ほどの模擬天守があります。
模擬天守の周りにも土塁のような土の盛り上がりがあるのですが、高さのない割りに幅が広かったりして、ここまでくると土塁の成れの果てなのか公園の植え込みの盛り土なのか、よくわかりません(^^;)

 


Ⅲ郭とⅡ郭の間を南に下ると県庁のある低地に出ます。
城址の主郭部と低地との高低差感覚は真ん中と右側の写真でなんとなくわかりますでしょうか?

この亥鼻公園の模擬天守まで走ってきたのが17時過ぎ、それから日没までの間にざっと駆け足で千葉(亥鼻)城の遺構をざっと見て回ったわけですが、よくよく考えたら廃城が「享徳の大乱」後まもなくということであれば、遺構はおそらく室町期のものなわけですよね・・・

場所としては県庁所在地であり政令指定都市でもある千葉市のど真ん中で、往時の城郭のかなり一部とはいえ遺構が残ってるなんて奇跡に近いのでは?

みんな「千葉城」というと、どうしてもわかりやすいので模擬天守のほうに行ってしまうけど、もったいないですよね☆

今回は資料館に入っていないので、実際にこの千葉(亥鼻)城がどういう紹介のされ方をしているのかまったくわからないのですが、この模擬天守がどーん!とあるのは相当誤解を受けそうな感じがするので、残った遺構をしっかり保全するとともに案内板等でしっかり紹介するようにしたほうがいいんじゃないかなぁ?

そんなことをつらつら考えながら千葉を後にしたのでした。



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