2014年6月13日金曜日

たとえひと目でも・・・太鼓曲輪&殿の道の石垣♪ ~八王子城オフその3~

なんとか詰めの城の大堀切まで行きついたものの、いよいよ「もうそれ以上奥に進むのは無理!」な雲行きになってしまい、「勇気ある撤退」をはじめた八王子散策オフの一行でしたが、詰めの城から下り始めたところで空からポツリポツリ・・・

雨だぁ~!

あわてて登り石垣の尾根を駆け下り、駒冷やしの大堀切をスルーして、雨宿りのできる本丸直下の東屋まで急ぎ足でGO!


が、不思議なことに、上を見上げるとかなり雨が降っているのが見えるにも関わらず、体に当たる雨はほとんどなくて、結局雨具は必要なし。

木々の中を通る道だったので、しっかり雨がさえぎられていたんですね。助かりました~☆

東屋について昼食をとっているうちににわか雨の通り過ぎ、いっそう蒸し暑くなってきたものの空は晴れてきて、時折ほほをなでる心地よい風~♪

このまま御主殿曲輪のある居館地区までもどってもよかったんですが、「せっかく本丸まで戻ってきたから、先ほど本丸に来たときに行かなかった小宮曲輪に行ってみるか」という西股先生とサイガさんについて、八王子神社脇の細道を登っていきました。




縄張り図の④のところまで来て、西股先生が「ここに小さくテラス状の平地が書いてあるだろう。ここがおそらく小宮曲輪の虎口になってるはずなんだ。」とおっしゃって、いきなり道から斜面の藪の中にごそごそ!

続いてサイガさん、tantanさんもごそごそ!私もあわてて後に続きましたが、この日最大の藪こぎでありました。

なんたって、写真の藪のど真ん中に西股先生とサイガさんが映っているんですが、わかりますか~?(笑)

そして、この藪こぎの成果は・・・先生方によれば「テラスと土塁様の地形はわかったけれど、虎口かどうかはっきりとはわからなかった。ただし抵抗なく登れる斜面になっているので、ここが通路であったとしてもおかしくはなさそう。」とのこと。

いやいや~、藪を通り抜けるのに必死で「抵抗なく」なんてよくわかりませんでした~☆
これはまた、藪の薄くなる冬に再確認の必要あり、かな。。。



小宮曲輪まであがったら、お宮(?)の前にいる珍しい親子の狛犬をみて、ちゃんとハイキングコースになっている現在の曲輪の出入り口からもとの東屋方面へ降ります。

縄張り図の青丸が書いてある部分がその小宮曲輪からの出入り口なんですが、図でもわかるとおり変な形に出っ張っています。

これは、現地で見るとさきほどの「虎口があるはず」だというテラスのある藪をちょうど真正面に見下ろす「横矢がけ」になっています。

現地では「なるほど~!」という感じに見えたのですが、写真に撮ってみると・・・うーん、ただの藪でまったく判らない!

なので、これもやっぱり藪の薄くなる冬に再確認の必要あり、ですね(笑)




さて、小宮曲輪をごそごそ歩き回った?後、当初予定では大雨のあとで足元もぬかるんでるだろうし、午後から荒れる天気という予想だったので、これで本日の行程終了!ということだったのですが・・・

時計を確認すると時間がたっぷり余っていて、しかも1日歩いてみて、思った以上に足元は乾いていて大丈夫だし、天候もすっかり回復しちゃってる。

これは急げば太鼓曲輪に行けちゃうんじゃないの~?


というわけで、さっさと要害地区から金子曲輪経由でビジターセンターまで一気に駆け下りて、深沢川を南側へ渡り、縄張り図の⑧へ。

この⑧には大手門跡があります。
昭和64年(1988年)の発掘調査で礎石や敷石などが出てきたことから「薬医門」形式の門があったのではないかといわれていますが、現在は埋め戻されちゃっていてよくわかりません。

この⑧の場所は土塁が明確で、門があったという土塁の切れ目から外側を見ると、どう見ても地形が枡形様になっています。

おそらくこの枡形の中に石段が埋もれていて、降りた先で川を渡っていたのではないかと明確に想像で来ちゃうような形です。

わくわく(笑)



⑧の場所からは御主殿曲輪に大手道(古道)が続いていて、曳橋を渡って御主殿曲輪に入るはず(それにそって橋や石垣の整備などもされている)なのですが、この記事現在、曳橋は無期限通行止めなので、大手道も行き止まりになってしまっています。

大手道の小さな橋の脇から細い山道を上がっていった尾根上に展開しているのが太鼓曲輪です。


曲輪、といっても尾根にざくざくと切れ込ませた堀切群といったほうがわかりやすいかもです。

尾根に上がって、まずは「片堀切」。
上方から見ると切岸にしか見えないのですが、下に降りて振り返ると、左右の縦堀が目に入って「あ、堀切?」「もしかして土橋?」という気になります



そして、第1堀切。いつ来ても気持ちよく切れています(笑)
堀底の西股先生とサイガさん。こんなに小さく見えるということは、堀の深さはどれだけでしょう!



第一堀切には石積みがみられます(⑨の場所)。

このあたりの地形を見ると、尾根から堀切に降りる道のようになっていて、途中階段様に積まれた石もみられることから、どうもこの場所には虎口があって、写真の石積みは虎口を固めるものだったのではないかと思われます。

また、虎口を少し降りたところから堀切の反対側に木橋をかけていたのではないか、という感じでもあるようです。




今回は時間もあまりないということで第1~第3堀切までしか見ませんでしたが、やっぱりいつみてもこのざっくり感はたまりませんね~☆

朝、八王子城散策を始めたときには太鼓曲輪まで来れないだろうと思っていたので、ホントひとめだけでも?来れてよかったです♪

それにしてもこの太鼓曲輪の位置には、なぜ詰めの城周辺のような防衛線を置かずに尾根にざくざく切込みを入れたんでしょうね・・・?不思議です。


そして、「時間がない」といいながらもこれだけはひと目だけでも!ということで太鼓曲輪のあとにやってきたがここ。



はい、殿の道にある4段の石垣群です~!
やっぱ、八王子城に来たらここには来たいですね♪御主殿曲輪からも近いし・・・




別記事でご紹介した柵門台下の石垣同様、高さ2mごとのセットバックがはっきりしています。

でも、よくみてください。柵門台下の石段と比べると・・・



石垣の顎石の下に隙間ができてしまってる!

実は八王子城のあたりの土質は非常に崩れやすいこともあって、別記事でも紹介しましたが元は八王子城の縄張りをぐるりと取り巻いていたであろう石垣も、崩壊してしまって石がごろごろしているばかり・・・という状況です。

ここも風雨に流されるだけでなく、人が通ることによって削れていることもあるかもしれません。
自分もがさがさ歩き回っているのになんですが、柵門台下の石垣同様しっかりと整備・保護して後世に残していたけることを切に願っています。


で、最後におまけ。

いつもはちょろちょろとしか流れてなくて「八王子城落城時に、こんなところで本当に身投げしたのか?」とギモンに思えるほどの御主殿の滝。

この数日、近来まれに見る大雨の日々が続いたせいか、この水量!

 

すばらしい滝となって流れておりました。
そばに寄ると、マイナスイオンが心地よい~♪






これで、今回の八王子オフ全行程終了!
御主殿滝や八王子城のマンホールを堪能しながら、八王子の町に出ていつもの通り乾杯です。

そして、この八王子城散策はまだ第1日目。次の日は今度は滝山城めぐりです。
引き続き、がんばってまいりましょ~☆

さくっと詰めの城まで ~八王子城オフその2~

さて、本丸(山頂曲輪)のある要害地区までも行かないうちに、金子曲輪~柵門台下の遺構が見事すぎて、すでに満腹モードに入ってしまった八王子城オフの一行でしたが、当初行こうとしていた八王子城最奥部の「詰めの城(大天守)」はまだまだ先~☆



まぁ、せっかく「八王子城」に攻め上って(笑)来たわけですので、ともかくも本丸に行ってみましょうとというわけで・・・




本丸(山頂曲輪)。

縄張り図でもわかるとおり、確かにこの八王子城の最高所にあるのですが、「本丸」というには非常に狭いスペースです。


本丸の直下くらいの場所には、八王子城落城時に北条氏照家臣の中山勘解由家範が守備して戦ったという松木曲輪があります。

ご同行いただいた西股総生先生や新津竜一氏(サイガさん)によれば、この松木曲輪のほうが広い上、ふもとの居館地区も含めて八王子城全体に見晴らしが利くので、むしろ当時の戦闘指揮はこちらで行われていて、現在の本丸は櫓台のような役割を果たしていたのではないか、とのことでした。

確かに、現在の松木曲輪には「八王子城跡の碑」が建っているのとともに、めちゃくちゃ見晴らしが利いているので展望スペースとなっているようで、方向を示す案内板やベンチが置かれています。

お昼にはちょっと早い時間だけど、ベンチで眺望を楽しみながらお弁当を広げるには絶好の場所・・・☆


・・・と空を見上げると、なんとなく積乱雲の気配。

お弁当は後回しで、とにかくさくさくと詰めの城までいかなくちゃ!

というわけで、松木曲輪から南側斜面へ降り、かん井という現在でも水の出ている井戸(みんなここでポンプで水を出して大喜びでした!)の脇を通り、大きな竪堀を数本横目に見ながら一路馬(こま)冷やしの堀切へ。

ここは道を間違えなければ、等高線に沿った形で斜面に沿って続いている道で楽に行けます。
が、以前、別記事でも書いたのですが、一段上に平行して無名曲輪に続く道があるので、ちょっと間違えやすくて要注意です。

そして、馬冷やしの大堀切!


いつ見ても、このすっぱり感がたまりません♪

この場所は、詰めの城に向う道筋と、要害地区をぐるりと等高線にそって鉢巻のように回っている「馬回し道」とが交差する場所にあたっている重要ポイントだそうです。

それにしても、こんな山の中に馬なんてどうやってあげたんだろうね~☆といつも気になってしまう場所でもあります(笑)

ちなみに前回八王子城に来たときに、この堀切からY字状に落ちている竪堀を,、この日の散策メンバーのあきさんと一緒に見つけて、かなり感動しました☆
(番号付け忘れました。次の縄張り図の右の方です)


ここから先はひたすら尾根をたどっていく道です。

というよりも、尾根のところどころ防塁を作って、その間の尾根をつないで防衛線を構築している感じになっています。

防塁のひとつひとつは曲輪というには小ぶりで、だから詰めの城のあたりは「城」といいながらも、よくみられる曲輪の連なりによる「城」とはちょっと違った形です。むしろ「城壁」?

次の写真は⑤の石塁です。



縄張り図中にも表現がされてますが、塁の回りを石でぐるりと補強してあります。



実はこの塁の回りだけではなくて、よく見ると石の帯が途切れ途切れながらもずっと横に続いています。

そして、これが段がずれてつながっているライン上にはなかったり、一本ではなくて二本になっているところも。

その上、これってセットバック?とも見える段差が・・・

西股先生によれば、八王子城をじっくり回ると実はこのように、2mほどの高さで地面に段が施されていたり、そこに積み上げられていたらしい石や、石積みどのものが斜面にずっと続いているのが確認出来るそうです。

そして、これまた縄張り図にも表現されていますが、最前線?にあたる詰めの城中心に、左右(南北)に約600mにわたって石塁の跡や石積みがずっと続いていますし。。。

ということは、八王子城の「外側」の斜面は、金子曲輪や柵門台下にあったような段々の石垣(八王子オフその1参照)で取り巻かれていたのではないか・・・?

八王子城はどちらかというと対甲州で滝山から移転していたのを、対豊臣のために急ごしらえで補強したイメージがあったので、こんなに大規模な土木工事が行われていたなんて想像もしませんでした。

八王子城山の地面は非常に崩れやすいので、もとから石垣をつくる必要があったのかもしれませんが・・・
現に石垣石積みはどんどん崩れていっているようなので、柵門台下の石垣のように保護が進むといいなぁ☆

そして、さらに進むと、先ほど触れた ⑥詰めの城手前(南側)の登り石垣 が現れます。



登り石垣・・・というか、登り勾配に作られた土塁に石が積まれていた遺構なのかなと思うので、強いていえば、登り石塁?

サイガさんや西股先生が登っている後ろ姿の左側に続いているのがそれです。
もう土塁様に積まれていたらしい石が散乱してごろごろ残っているとしか見えません。。。

ただし、詰めの城の先(北側)はハイキングコースから外れているせいか、石積みなどが確認できたりと、南側よりは遺構が良好に残っているようです。

そして、詰めの城。
「伝大天守跡」とも言われていて、ストーンサークルのような形に石がごろごろして遺構っぽくなっていますが、ここに建物が建っていたという痕跡はなく、それどころか詰め城とするにも狭すぎる!

見事なのは、この ⑦詰めの城の西側の大堀切 です。



本当に思い切りよくざっくりと、かつスパーン!と尾根を切っている堀切です。
これだけの堀切を作るには、相当な土木量だったと思います。

詰めの城の西方向にはずっと尾根が続いていて、富士見台という富士山の見えるスポット(そのあたりにも竪堀などの遺構があるという話も)を通り高尾のほうまで続くハイキングコースになっているようです。

ということは、甲州方面からは小仏や高尾あたりからこの尾根を伝って詰めの城あたりまで来れてしまうということで、そういう意味でもここは最前線だし、思い切りよくすっぱりと堀切っておく必要があったのでしょう。

だから、私としてはこの詰めの城はよく言われている「八王子城の詰城(本丸が陥落したときの最後の拠点)」というよりは、むしろ対甲州の最前線を守る防衛線の要の防塁であるような気がしてなりません。。。




ところで、この詰めの城西側下の大堀切の岩のひとつに、縦20cm横40cm奥行き15cmくらいの方形の穴があいています。

八王子城跡ガイドツアーのHPでも「祈壇だったんですかね?」と疑問形で紹介されているし、この大堀切に行くたびにいつも何だろう?と不思議に思っていたんです。

今回西股先生にお聞きしてみたら、橋脚の穴ではないか、とのことでした。

この堀切を行き来するために平常はこの場所に木橋をかけていたと考えられ、穴のある壁と反対側の壁の上の方に微かに段が残っているので、そこに橋板を取り付けて反対側に渡していたのではないか、と。

そして、その橋板を支える橋脚をこの穴から斜めに立てて固定して、非常時には木橋を橋脚ごと切り落としていたのではないか、ということでした。

ふむむ~☆祈壇としてはかなり小さくて仏様を納めるづらいかも~とは思っていたので、自分的には、どちらかといえば橋脚説に一票です。
もしかしたら今後新たな発見があって新説が出てくることもアリかもしれませんが(^^)

さて、ここまで来たところで空を見上げると・・・すでに暗雲立ち込め遠雷がごろごろ、いつ降り出してもおかしくない状況!

むしろここまでよくもった?
先生方とご一緒のこの日こそは、本当はこの先の詰めの城北側にある石垣群を見に行きたかったのですが・・・

そこは天候不順による「勇気ある撤退」!
このあたりには雨宿りできる施設はありませんので、大急ぎで本丸直下の東屋を目指してもと来た道を戻ったのでした。

・・・続く。


登りはじめなのにお腹一杯? ~八王子城オフその1~



2月に大雪で果たせなかった「八王子・滝山城攻めオフ」、4月の韮山攻めに引き続き、サイガさんこと古戦場研究家の新津竜一氏&城郭研究家の西股総生先生をお迎えしてさらにパワーアップ!2日間かけての「じっくりたっぷり」リベンジ開催することになりました。

で、ふたを開けてみると・・・結局スケジュールが合わなくて2月メンバーの遠征組はこれなかったんですが、1日目の八王子城散策は2人の先生方に、あきさん、tantanさん、りりおさん、それにワタシの計4名の城ガール隊員が集合して、図らずも城ガール隊スピンオフみたいな様相に(笑)

八王子城は、ワタシも以前に何回かブログの別記事で書いてますが、標高445m(比高約240m)の深沢山に築城された関東屈指かつ典型的な中世山城です。

今回は、ご同行いただいた西股先生が以前調査報告のために数週間もかけて作られたという縄張り図(のコピー)をご提供いただき、その上西股先生のご案内で散策するという、と~っても贅沢!な散策となりました。


これがその縄張り図です。ちょっと見づらいですが・・・



さて、この日の天気は、午前中は晴れるものの午後は荒れるという予報。

梅雨時だし、この数日前は近来まれに見る大雨でもあったため、足元も多少心配。。。

広い城域でもあり、とにかく雨が来る前に先に奥まで行ってしまおう!ということで、ガイダンス施設脇の駐車場に車を停めてビジターセンタの脇を通り、金子曲輪方向へ出発~!

今回の散策では、この縄張り図のうち赤い線のルートをずっと散策しました。
このルートはワタシも何回も通っていて、見落としているものはないだろうと思っていたんですが、さすが西股先生&サイガさんという2大巨頭とご一緒させていただくと、新たな見どころ満載!

通った順に、見どころポイントに青字で番号を振ったので、その順にご紹介しますと・・・


①金子曲輪の石塁



すっかり埋もれてしまっていて誰もがその上を素通りしているのですが、石が一列に並んでいるのがわかりますか?

この石の列、よくよく見ると金子曲輪の北側よりの地面にずーっと一列に並んでいます。

金子曲輪の北側方向は御主殿のある谷からみて外側、つまり警戒をしなければならない方向の谷に面しています。

西股先生によれば、だからこの石列の下には石塁(石垣)が埋もれているのではないかということです。

・・・いやはや、石が一列に並んでいることすら気がついていませんでした (^^;)

金子曲輪はまだまだ八王子城の「入り口」のようなもので、ワタシはこのあたりには馬蹄段くらいしか(それだって七段もある戦国時代の段曲輪で、十分見事な遺構ではありますが・・・)ないと思ってました☆

だから、いままで金子曲輪の石は思いっきり踏んづけて「スルー」していたわけで。。。やばし。


②隠れた石段と虎口

さて、金子曲輪からハイキングコースをたどって登っていく途中、右手の山の茂みの中に隠れているちょっと気になる階段様の石が・・・

そのまま気になりながらも次の削平地まで登ると、そのまま進行方向に進めば柵門台・山頂曲輪(本丸)方向に行くのですが、右手方向にちょっと戻るような道もあって、その先によくわからない石碑があります。


その道は石碑で行き止まりになって、その先は急な下り斜面になっているんですが、西股先生が「この先に、石段の遺構があるんだよ」


そして、「その石段を下がった左側に虎口の遺構もあるんだよ」



なになに・・・?と石碑のところから斜面の下を除いてみると、確かに石段様のものと、その先に先ほど歩いてきたと思しき道が・・・

あれ?これって先ほど気になった石段様の石積み?
さっそくみんな石段の方へぞろぞろ進んで見学。確かに、石段だぁ~!

でも、ご注意。石段の石の上に乗ってはいけません。
なぜなら、石の上に乗ると、斜面が石ごと崩れてしまって遺構を損なう可能性があるからです。

それくらい斜面はもろく崩れやすくなっています。

この石垣の場所は、先ほどの西股先生の縄張り図の②の部分にちょこっと塗りつぶして書き入れた位置にあります。
わざわざ斜面に入り込まなくても、ハイキングコースからも十分見えます。

そして先生のおっしゃっていた虎口、これはすっかり藪の中に埋もれてしまって、ハイキングコースからはまったくわかりませんが、先生の縄張り図の②の青丸の中にちゃんと記載がされています。

今回は先生について藪をくぐり倒木を乗り越えて入ってみることにしました。
斜面を回りこんでいくと、藪が切れて少し開けた場所に出ると、そこが虎口があるという場所です。



 


先の写真が虎口ですが・・・いつものことながら、写真で見るとよくわかりません(汗)
が、現地でみれば土塁の様子から確かに虎口とわかります。

西股先生によれば、もともとは金子曲輪からの登り口は現在のハイキングコースではなく、この虎口を通りぐるりと斜面を回りこんで先ほどの石段を登る道筋だったのだろうということです。

そして、その虎口正面の斜面(後の写真)にはよくよく見るともともとは石積み(石垣)があったらしく、斜面自体が2mほどの高さでセットバックしつつ段々になっていて、その崩れた後の石がごろごろしています。

ハイキングコースとしてしっかり整備されている八王子城の金子曲輪あたりで、まさか藪こぎすした上で見事な遺構を見ることになるとは思いませんでした☆


③柵門台下の石垣

再度ハイキングコースに戻りそのまましばらく登っていくと、柵門台に出ます。

柵門台というのは、その名の通り柵門が設けられていた場所のようなのですが、以前からその柵門台の少し下ったところの北側斜面に石垣遺構があるらしいというのは有名な話でした。

そして、ハイキングコースから下を除くとそれっぽい石も藪やぶの中に見え隠れしてはいました。

今回のオフ会にあたって、直前にこの柵門台あたりの斜面の藪をきれいに切り払ったところ、見事な石垣遺構が現れたというのをニュースで見ていたので、ちょっと密かに楽しみにしていたのですが・・・

ハイキングコースを歩いていくと・・・じゃーん!





もうハイキングコースにいながら、見事な石垣遺構が目に飛び込んできます!




遺構保護のため立ち入り禁止になっていて石垣の下の道に入ることはできないのですが、上からでも、石垣が2mほどの高さでセットバックしながら立ち上がっているのがばっちり見えます。

そして、石垣の一番下に平らに差し込まれて敷かれている「顎石」もばっちり。。。

ほんとうに、八王子城では有名な殿の道の四段石垣にも匹敵する石垣遺構が、よくぞこんなにきれいに出てきてくれた!という感じで、感激です☆

また、なんとなく形状も四段石垣によく似ているような・・・?

そして、先ほどの②で見た斜面の段々も、石がしっかり残っていればこんな形状だったんだろうと思われます。

西股先生によれば、技術的に2m以上高い石積みをするのは無理だったので、2mごとの段々状に積み上げて行ったのではないかとのこと。


また、本来は金子曲輪の北側の石塁ラインや②の虎口の斜面から柵門台にかけての北側斜面には、ずっとこの形状の石垣が続いていたのではないか、ということです。

でも、この柵門台の石垣については西股先生でさえ「感動した!来てよかった♪」と喜んでいました。

で、ここまでですでに見どころ満載で「お腹一杯!」となってしまった八王子城オフの面々でした。
・・・が、八王子城はまだ序の口。山頂曲輪までもたどりついていません。

ので、まだまだ散策は「続く」です。。。





2014年4月17日木曜日

半蔵門あたりぶらぶら

虎ノ門で所用のあと、ちょっと時間があったので、特段どこに寄ろうというプランもなかったけど、お堀端までぶらぶら歩いて有楽町線に乗ろうかな、と思って霞ヶ関あたりから桜田門方面に向かって歩いていて・・・

外務省のある交差点で信号待ちをしながら、ふと「そうだ、ここからショートカットして半蔵門見に行こうかな・・・それで麹町から有楽町線に乗ろう!」


なぜ、いきなり半蔵門?

実はたまたまこの2~3日、竹村公太郎氏の著書「日本史の謎は『地形』で解ける」を読んでいて、その第5章「半蔵門は本当に裏門だったのか」の半蔵門~麹町の地形を直に再確認してみたいな~と思ってたので、だから、まさにちょうどいい機会なわけです。

この内容は、宝島社の「地形から読み解く日本の歴史」という雑誌にも、ダイジェストが見開き2ページほどで載っています。

内容は、現在の二重橋の正門や大手門と正反対の位置にあって搦手といわれている半蔵門だが、現在よりも湾が深く入り込んでいて周辺が「葭の原」湿地であった江戸初期には、高台が続く尾根道である甲州街道が直結していて唯一江戸城に到達できるルートであったと思われることから、本来は半蔵門が正門だったのではないか、というものです。

麹町のあたりは仕事で結構行くこともあって、確かに坂もあったなぁ~とは思うけど、いつも何の気なしに地下鉄で行っちゃったりしてるので、ちゃんと見てみようかな・・・と。




外務省のある交差点と半蔵門の間の位置関係はこんな感じ。

外務省と財務省の間の潮見坂を登っていって、国会議事堂の前をまっすぐ横切ると内堀通りの桜田掘に出ます。

地図の桜田掘の上が半蔵門の土橋で、そこから左側に伸びる道が甲州街道、周辺一帯が麹町です。

この地図だとわかりにくいんですが、実はこのあたり、霞ヶ関あたりは土地が低くて、桜田門の交差点から半蔵門に向かっての内堀通りはゆるやか~な、でも結構高低差のある上り坂です。

そしてこの地図の下のほう、首相官邸とか公邸とかあるあたりの下は溜池・・・今は外堀通りになっていますが、江戸時代には江戸城外濠と溜池のあった低地です。

ということは、つまり国会議事堂やら議員会館やらのあるあたりというのは、台地の端のこんもりした高台になっているわけです。



さて、これが外務省と財務省の間を国会議事堂方面に上っていく、潮見坂。



坂を上りきると、国会議事堂の前を通る道に出ます。
国会議事堂の前庭はお出入り自由の公園になっていて、日本水準原点標なんかあったりしてびっくりします。




  



こんなところが標高決定のための基準点なんだ・・・?!
かなり意外。確かにしっかりとした台地の上にはありますが・・・?

この実は皇居に向かって落ち込んでいく斜面にあるので、国会議事堂の門の正面に立つとこんな景色が見えます(*^_^*)





眼下には江戸城桜田掘。遠くに桜田門が映ってるの、わかりますか?(笑)
お堀越しに江戸城の土塁と石垣が見え・・・るはずなのですが、緑の木々に阻まれてます。




・・・心の目で見てください(笑)

前庭からまた議事堂前の道路に出て、そのまま議事堂に平行しながら北に進むと、やがて下り坂になって、桜田掘の堀端に出ます。

ちょうど次の地図の赤字「現在位置」と書いてある、三宅坂交差点です。

 

この交差点の脇に小さな公園?があります。
女の人が三人踊ってる像の向こうには最高裁判所・・・

この像っていったい何かな~?と思ったら、「広告記念像」なのだそう。
そして、この像の後ろに小さな看板が立っているのですが・・・

この公園の場所はかつて三河田原藩の上屋敷があった場所で、渡辺崋山の誕生地でもあったということです。

三宅坂からは、桜田掘に沿って緩やかな登り坂。登り切ったところにあるのが半蔵門の土橋です。





このポイントからの風景は歌川広重の名所江戸百景「糀町一丁目山王祭ねり込み」にも描かれています。

浮世絵の写真は、引用元(Wikipedia)が小さかったのでボケボケになっちゃいましたが、よくよく見ると土手の折れなど昔も今も一緒なんですね!

竹村氏は著書の中でこの絵を引き合いに出して、江戸時代から半蔵門は堅牢な土橋であったことや尾根道である甲州街道とその両脇を固める番町・紀尾井町の旗本屋敷などの関係を通して、「半蔵門=正門」 説を展開しています。

そして、警戒厳重な番町・紀尾井町あたりになぜ赤穂浪士がなぜ16人も潜んでいられたか・・・というところから、別の興味深い話に広がっていくのですが・・・

これ以上書くとネタバレになってしまうので(笑)、それはさておき・・・




半蔵門の土橋を両サイドからみたところ。
江戸時代からの姿そのままの大きくてがっしりした土橋です。

半蔵門自体は、本当に江戸城でいえば「裏口」といった風情の小さな門なのですが・・・





半蔵門の土橋の袂から桜田門方面(桜田掘)をみると・・・この高低差、わかるかな~?

桜田門から先は高低差なく半蔵濠~千鳥ヶ淵と続きます。
江戸城の中ではこの半蔵門のあたりが一番標高の高いところだと思われます。

そして、千鳥ヶ淵からは一気にまた神田方面の低地に向かって、地形は一気に下がっていきます。
そう、日本武道館に行くときに九段下の駅から登っていく、あの靖国神社前の九段坂ですね。



そちらへは進まずに、半蔵門の土橋からまっすぐ麹町方面へ甲州街道(新宿通り)を進むと、道はそのまま四谷駅=四谷見附に向かいます。

この道を歩きながらところどころで左右の路地をのぞいてみると・・・なんと両側とも坂道が落ち込んでいる!

確かに、甲州街道は麹町台地の尾根の一番高いところを通っているんだなぁ~、と改めて実感して、「地形~」の本に書いてあったことの意味がひしひしと実感されます☆

江戸城の高低差と門の位置は地図上では知ってはいたものの、直に歩いてみると今までと見方考え方がまた変わってきますね!

ちなみに、そのまままっすぐ行くと、やがて四谷見附で外堀を渡って江戸城を出て、四谷大木戸、内藤新宿を抜けて甲州へ向かう甲州道中(ほぼ現在の国道20号線)となるわけです。

まさかそこまでの時間はなかったので、ぶらぶら散策はここで切り上げにしました。


またちょこちょこ機会を作って、なるべく歩こう☆
・・・サボリといわれない程度に(笑)