2014年6月13日金曜日

登りはじめなのにお腹一杯? ~八王子城オフその1~



2月に大雪で果たせなかった「八王子・滝山城攻めオフ」、4月の韮山攻めに引き続き、サイガさんこと古戦場研究家の新津竜一氏&城郭研究家の西股総生先生をお迎えしてさらにパワーアップ!2日間かけての「じっくりたっぷり」リベンジ開催することになりました。

で、ふたを開けてみると・・・結局スケジュールが合わなくて2月メンバーの遠征組はこれなかったんですが、1日目の八王子城散策は2人の先生方に、あきさん、tantanさん、りりおさん、それにワタシの計4名の城ガール隊員が集合して、図らずも城ガール隊スピンオフみたいな様相に(笑)

八王子城は、ワタシも以前に何回かブログの別記事で書いてますが、標高445m(比高約240m)の深沢山に築城された関東屈指かつ典型的な中世山城です。

今回は、ご同行いただいた西股先生が以前調査報告のために数週間もかけて作られたという縄張り図(のコピー)をご提供いただき、その上西股先生のご案内で散策するという、と~っても贅沢!な散策となりました。


これがその縄張り図です。ちょっと見づらいですが・・・



さて、この日の天気は、午前中は晴れるものの午後は荒れるという予報。

梅雨時だし、この数日前は近来まれに見る大雨でもあったため、足元も多少心配。。。

広い城域でもあり、とにかく雨が来る前に先に奥まで行ってしまおう!ということで、ガイダンス施設脇の駐車場に車を停めてビジターセンタの脇を通り、金子曲輪方向へ出発~!

今回の散策では、この縄張り図のうち赤い線のルートをずっと散策しました。
このルートはワタシも何回も通っていて、見落としているものはないだろうと思っていたんですが、さすが西股先生&サイガさんという2大巨頭とご一緒させていただくと、新たな見どころ満載!

通った順に、見どころポイントに青字で番号を振ったので、その順にご紹介しますと・・・


①金子曲輪の石塁



すっかり埋もれてしまっていて誰もがその上を素通りしているのですが、石が一列に並んでいるのがわかりますか?

この石の列、よくよく見ると金子曲輪の北側よりの地面にずーっと一列に並んでいます。

金子曲輪の北側方向は御主殿のある谷からみて外側、つまり警戒をしなければならない方向の谷に面しています。

西股先生によれば、だからこの石列の下には石塁(石垣)が埋もれているのではないかということです。

・・・いやはや、石が一列に並んでいることすら気がついていませんでした (^^;)

金子曲輪はまだまだ八王子城の「入り口」のようなもので、ワタシはこのあたりには馬蹄段くらいしか(それだって七段もある戦国時代の段曲輪で、十分見事な遺構ではありますが・・・)ないと思ってました☆

だから、いままで金子曲輪の石は思いっきり踏んづけて「スルー」していたわけで。。。やばし。


②隠れた石段と虎口

さて、金子曲輪からハイキングコースをたどって登っていく途中、右手の山の茂みの中に隠れているちょっと気になる階段様の石が・・・

そのまま気になりながらも次の削平地まで登ると、そのまま進行方向に進めば柵門台・山頂曲輪(本丸)方向に行くのですが、右手方向にちょっと戻るような道もあって、その先によくわからない石碑があります。


その道は石碑で行き止まりになって、その先は急な下り斜面になっているんですが、西股先生が「この先に、石段の遺構があるんだよ」


そして、「その石段を下がった左側に虎口の遺構もあるんだよ」



なになに・・・?と石碑のところから斜面の下を除いてみると、確かに石段様のものと、その先に先ほど歩いてきたと思しき道が・・・

あれ?これって先ほど気になった石段様の石積み?
さっそくみんな石段の方へぞろぞろ進んで見学。確かに、石段だぁ~!

でも、ご注意。石段の石の上に乗ってはいけません。
なぜなら、石の上に乗ると、斜面が石ごと崩れてしまって遺構を損なう可能性があるからです。

それくらい斜面はもろく崩れやすくなっています。

この石垣の場所は、先ほどの西股先生の縄張り図の②の部分にちょこっと塗りつぶして書き入れた位置にあります。
わざわざ斜面に入り込まなくても、ハイキングコースからも十分見えます。

そして先生のおっしゃっていた虎口、これはすっかり藪の中に埋もれてしまって、ハイキングコースからはまったくわかりませんが、先生の縄張り図の②の青丸の中にちゃんと記載がされています。

今回は先生について藪をくぐり倒木を乗り越えて入ってみることにしました。
斜面を回りこんでいくと、藪が切れて少し開けた場所に出ると、そこが虎口があるという場所です。



 


先の写真が虎口ですが・・・いつものことながら、写真で見るとよくわかりません(汗)
が、現地でみれば土塁の様子から確かに虎口とわかります。

西股先生によれば、もともとは金子曲輪からの登り口は現在のハイキングコースではなく、この虎口を通りぐるりと斜面を回りこんで先ほどの石段を登る道筋だったのだろうということです。

そして、その虎口正面の斜面(後の写真)にはよくよく見るともともとは石積み(石垣)があったらしく、斜面自体が2mほどの高さでセットバックしつつ段々になっていて、その崩れた後の石がごろごろしています。

ハイキングコースとしてしっかり整備されている八王子城の金子曲輪あたりで、まさか藪こぎすした上で見事な遺構を見ることになるとは思いませんでした☆


③柵門台下の石垣

再度ハイキングコースに戻りそのまましばらく登っていくと、柵門台に出ます。

柵門台というのは、その名の通り柵門が設けられていた場所のようなのですが、以前からその柵門台の少し下ったところの北側斜面に石垣遺構があるらしいというのは有名な話でした。

そして、ハイキングコースから下を除くとそれっぽい石も藪やぶの中に見え隠れしてはいました。

今回のオフ会にあたって、直前にこの柵門台あたりの斜面の藪をきれいに切り払ったところ、見事な石垣遺構が現れたというのをニュースで見ていたので、ちょっと密かに楽しみにしていたのですが・・・

ハイキングコースを歩いていくと・・・じゃーん!





もうハイキングコースにいながら、見事な石垣遺構が目に飛び込んできます!




遺構保護のため立ち入り禁止になっていて石垣の下の道に入ることはできないのですが、上からでも、石垣が2mほどの高さでセットバックしながら立ち上がっているのがばっちり見えます。

そして、石垣の一番下に平らに差し込まれて敷かれている「顎石」もばっちり。。。

ほんとうに、八王子城では有名な殿の道の四段石垣にも匹敵する石垣遺構が、よくぞこんなにきれいに出てきてくれた!という感じで、感激です☆

また、なんとなく形状も四段石垣によく似ているような・・・?

そして、先ほどの②で見た斜面の段々も、石がしっかり残っていればこんな形状だったんだろうと思われます。

西股先生によれば、技術的に2m以上高い石積みをするのは無理だったので、2mごとの段々状に積み上げて行ったのではないかとのこと。


また、本来は金子曲輪の北側の石塁ラインや②の虎口の斜面から柵門台にかけての北側斜面には、ずっとこの形状の石垣が続いていたのではないか、ということです。

でも、この柵門台の石垣については西股先生でさえ「感動した!来てよかった♪」と喜んでいました。

で、ここまでですでに見どころ満載で「お腹一杯!」となってしまった八王子城オフの面々でした。
・・・が、八王子城はまだ序の口。山頂曲輪までもたどりついていません。

ので、まだまだ散策は「続く」です。。。