2016年2月10日水曜日

もんじゃで城攻め?! ~城ガール隊関東支部新年会2016~

このところ、城ガール隊のあちこちの支部で新年会が企画されているようなので、関東支部でも新年会をやろう♪ということになりまして。

ツイプラで募集したところ、当日参加者14名浅草雷門前に大集合と相成りました!



城好き歴史好きさん向け?に今年の大河「真田丸」にちなんだ感じでよさそうかな?ということで、会場は浅草もんじゃのお店、六文銭。
そこまで歴史推しっぽくないお店ですが、さりげな~く真田十勇士の絵などが飾られてたりなんかします。

もんじゃが焼ける鉄板つきの4人がけテーブルが12~3個ほどのちいさなお店ですが、そのうち5つのテーブルを占領して、まずは真ん中に集まって全員で乾杯!




初めてお会いする方も何人もいらっしゃいましたが、城好き歴史好きといった共通の話題があるのですぐに打ち解けて、そこからはとにかく焼いて、食べて、しゃべりまくり・・・


ふと見ると、野菜の見事な土手にもんじゃのタネが流し込まれた様子が、忍城の水攻め?


ここから先は土塁だ!堀切も作って・・・と各テーブルお好み焼きの築城合戦。
ついにはグリーンアスパラでケバケバを作って、縄張り図を表現してみたり・・・



ケバがさらに発展してマヨネーズによる詳細ケバをもつ郭に、お店の箸袋と爪楊枝で作成した幟まで立ってる(笑)

あちこちのテーブルで築城がすすんでるなぁ・・・と思っていたら、こちらのテーブルのこれはいったい・・・?




・・・どうも六文銭のようです。
いつのまにか各テーブル、築城から武将の紋に話も鉄板上も進んでいるようで。



こちらはよくよく見ると、ポテトで作った石田三成の旗印「大一大万大吉」?!


北条三鱗と武田菱はわかりやすい!旗もカワイイ♪


そんなこんなで城好き歴史好きらしく盛り上がり、最後はみんなで集合写真!
また、今度はいずれかのお城でご一緒できますように~☆


2016年1月10日日曜日

所沢の鎌倉街道上道

例によって、まったく別の用事で車を転がしているときに、「お、そうだ。この辺に鎌倉街道(古道)が通っていたっけ。」などと思い出してしまうワタシ。

本当はちゃんと計画的に行程を組んで、順番に歩き継いで行くとかしてきちんと踏査したいキモチはあるんですけど・・・どうもついつい先延ばしにしているうちに、虫食い状態に車で通ってしまうという(^o^;)

で、この日も妹の家から自宅に帰ろうと、東京は東村山あたりを府中街道と旧所沢街道の交差点方面に向って車を転がしていて・・・そういえば?

鎌倉街道上道の場合、久米川合戦のあった東村山から南は武蔵国府が置かれ、武蔵一之宮である大国魂神社のある府中までを結ぶ府中街道に沿って、伝承や遺構が残っているので、比較的古道がたどりやすいです。

また、所沢から北は、狭山のあたりを抜けて埼玉県道所沢狭山線と重なる「本道」や堀兼道のような支道など、やはり古戦場や城跡、遺跡や遺構などがあって、たどりやすくなっています。

ところが、自分の中では東村山~所沢市内のあたりがすっぽり抜けていて、どこを通っているのかわからない・・・?

で、いつもだったら超混雑地域である所沢市内は迂回して避けるのですが、ちょうどすっぽり抜けた部分の近くを走っていることに気がついた!ので、「急に思い立って」(笑)これまた古くからの道である旧所沢街道から所沢市内に寄り道することにしました。




古道を探すときに頼りにするのが、古くからある寺社や路傍の石仏・石標。
さっとwebで古いと思われる街道に沿って点在する地元の寺社を調べてみて、目星をつけます。

まずは、旧所沢街道沿いに日月神社という一風変わった名前の神社を見つけたので、行ってみました。しかしなbら、これは残念ながら地元の村の鎮守ということで、新編武蔵風土記稿にも載っている古社ではあるものの、目指す鎌倉街道上道に関連するものではありませんでした・・・☆

で、次に所沢市内をweb検索して眼に留まったのが、野老山實蔵院。むむ、これは・・・?





ビンゴ~!
この實蔵院の前を通る、一方通行の狭~い道が鎌倉街道上道でございました(^^)/




この實蔵院、江戸時代の大火で縁起が定かではないそうなのですが、貞治4年(1365年)、応永11年(1424年)、享徳3年(1454年)の板碑が発見されて保存されているそうなので、室町期からの古刹であることは間違いなさそうです。

さらに、戦前にこのお寺から供出した半鐘には、正平7年(1352年)に新田義興(新田義貞の次男)によって開基されたとの銘があったそうです。

お寺の前を通るこの道が、まっすぐ南の久米川古戦場に向っています。



新田義貞が元弘3年(1333年)に鎌倉幕府と戦った際にも、小手指ヶ原古戦場址はここよりもっと西を通る支道上にありますが、分倍河原の合戦の際には久米川の方に退却していますから、もしかしたら当時も頻繁に、この道が使われていたのかもしれませんね。わくわく♪

で、次の地図の中に赤線で引いてあるのが、今回見つけた鎌倉街道上道です。
ちなみにあとで調べたら、實蔵院のちょっと上にある新光寺にも源頼朝や新田義貞にまつわる伝承が残っているようです☆



そして、細くて狭い鎌倉街道は新光寺の北あたりで県道所沢狭山線にぶつかります。
そして坂をあがったところが鎌倉街道の宿(河原宿)の北側にあたる峰の坂交差点。

峰の坂から狭山市の西武線狭山市駅前までのこの県道が、そのまま往時の鎌倉街道上道の道筋と考えられています。

この付近一帯はかつて「入間野」と呼ばれた武蔵野の原野で、「吾妻鏡」建久4年(1193年)に源頼朝が武蔵国入間野において鳥追狩を催した場所がこのあたりだと伝えられているそうです。




ここからまっすぐ県道を北上すると、やがて鎌倉公方足利基氏が感応の擾乱後に上杉氏勢力に対抗するために9年間にわたって入間川御所を置いた、入間川の八丁の渡しに出るのですが、その途中に、すり鉢形の古代の井戸で、武蔵野の歌枕としても名高い「ほりかねの井」のひとつといわれる「七曲井」があります。



狭山市の公式ウェブによると、「ほりかねの井」は平安時代の女流歌人である伊勢に詠まれていたり、清少納言の「枕草子」にも「井は堀兼の井」と取り上げられていることから、七曲井は平安時代にはすでに存在していたとみられているようです。

また、「延喜式」によれば街道の駅路に旅人のための休息の場を設けたり、飲み水のないところには井戸を掘るように記載されているということで、七曲井の脇を通る鎌倉街道上道が古代入間路であったところからも、遅くとも9世紀後半から10世紀前半にかけて、武蔵国府の手により掘られたと考えられているようです。



このまままっすぐ北上すると、入間川に出ます。
この入間川の地は、鎌倉時代、入間川宿として交通上だけでなく軍事的にも重要な宿場でした。

なので、先ほどの室町時代の入間川御所関連だけではなく、元弘3年(1333年)の鎌倉幕府倒壊のときに、新田義貞が入間川に陣を張ったこともあり、戦勝祈願をしたという八幡神社や、入間川合戦時に宿泊所としたという徳林寺など、ゆかりの場所があります。

また、それだけでなく鎌倉初期においても同様であったようで、木曽義仲の息子で当時12歳の清水冠者義高の終焉の地といわれる清水八幡神社や、そのときに追っての目をのがれるために陰に隠れたという影隠し地蔵などがあるのですが・・・

本日は、時間もないので残念ながらこれにて鎌倉街道上道を離脱です。

次はいつ急に「思い立つ」のかな(笑)

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2015年10月28日水曜日

鳩ヶ谷あたりの鎌倉街道中道

このところ、じいちゃんの容態が思わしくなくて、土日祝日や泊つきの城攻めは自粛状態。

で、何かあってもすぐ連絡がとれて動きがつくような、近場&お手軽な城・歴活はないか~?

ということで、目をつけていたいくつかの展示会。
行けそうなチャンスが巡ってきたので、さっそくそのうちの1つに飛んでいくことにしました~!





で、しゅたり(←忍者が降り立つときの擬音w) 鳩ヶ谷!

お目当ては、埼玉県川口市の川口市文化財センター分館郷土資料館「企画展 戦国時代の川口ー武蔵東部の戦乱のはざまでー」(10/6~12/6)

この郷土資料館は、川口・・・といっても合併前には鳩ヶ谷市だった地域、江戸時代に整備された脇街道「日光御成道」の鳩ヶ谷宿の高札場のすぐそばにあります。




「川口」という名称は、この地域が旧入間川(現在の荒川)の河口に臨んでいたから、といわれています。治承4年(1180年)源頼朝の挙兵に加わるため義経が鎌倉に向う途中、川口の渡しで兵をあらためたことが「武蔵国足立群小川口に着き、兵を閲したところ八十五騎になっていた」と『義経記」に記されているそうです。




江戸時代になるとほとんどが幕府直轄領になり代官の支配下となった川口。特に有名な武将の出身地や合戦の舞台となったわけでもないようです。

ですが戦国時代の川口は、北条氏や太田氏、扇谷・山内上杉氏など有力武将により争奪戦が繰り広げられた江戸城と岩付城を結ぶ鎌倉街道中道の中間に位置していることから、太田氏や北条氏の支配を受け、進軍の際の兵糧米の供出や人夫の徴発などがされていたようです。




これは展示パネルにあったもので、北条氏政家臣・宮城四郎兵衛尉泰業の知行地と負担すべき軍役を書き上げた文書。
「大間木」「小渕之内中居」「川口」「沼田」「舎人」といった川口市および周辺の地名が見えます。

宮城氏は岩付太田氏の有力家臣でしたが、北条氏の進出により岩付衆として北条氏家臣団に組み込まれました。

そして、この文書の題に「改定着到の事」とあるとおり、この前年に北条氏政が「本城様」=父氏康の死去によって名実ともに北条氏の当主となり、代替わりにともなう着到(軍役)の改定が行われ、改めて知行地として認められたようです(黒田基樹編「北条氏年表」より)。

次の写真は、天正7年(1579年)6月20日付けの北条家裁許朱印状(複製)です。




川口市鳩ヶ谷地区の農民が、岩付城に属する北条氏政の家臣・笠原氏の圧政に反抗し、逃散を企てたことに対する北条氏評定衆の判決文が記されています。当地のことを「笠原助八郎私領」としており、鳩ヶ谷地区が笠原氏の知行地であった可能性があります(展示パネルより)。

また、天正13年(1585年)7月、岩付城主北条氏房と太田氏資の娘との祝言のために、氏房の父・氏政は次の通り江戸から岩付へ向う輿入れ行列の指示を出しています。




この印判状によると、婚礼道具と思われる長持や屏風などの「御物」を先頭に、御輿添衆20人、氏政の輿と夫人の輿、夫人付きの女房衆、そして警護役と続き、その行列の長さは約200mに及んだと想像されます。

この行列がどのような行程で進んだのかは不明ですが、こんなにもきらびやかな輿入れ行列ですから、江戸からであれば鎌倉街道中道を通行したのではないでしょうか。

江戸(城)と岩付(城)を結んでいた鎌倉街道中道。
それが川口のどのあたりを通っていたかというと・・・?

その他の展示パネルを眺めていたら、こんな文言が。

「芝川の西側の自然堤防上を北上する少し小高くなった道がかつての鎌倉街道中道と推定されています」 
「地元の郷土史家によって、現在の鳩ヶ谷氷川神社参道が鎌倉街道中道と推定されています。ただし、江戸時代初頭に鳩ヶ谷宿の町並みが形成されたため、その前後で道筋はかなり大きく変化したと考えられます。」

常設展示にあるジオラマを見てみると、芝川はちょっとわからなかったのですが、右側をくっきりと走る道と町並みは「日光御成道」と鳩ヶ谷宿。

これまたわかりづらいですが、ジオラマの茶色の部分が高台になっていて、御成道は左右に走る見沼代用水の橋を渡り、坂道を登りながら北上していきます。




そうすると、鳩ヶ谷氷川神社とその参道は・・・?

ジオラマを見ながらうろうろしていたら、資料館の方が親切にも地図を持ってきて、現在推定されている鎌倉街道中道の道筋を赤線で教えてくださいました♪

こうなったら、期間限定特別公開の「伝真田幸村所持 太刀 銘長光」を見るのもそこそこに(スミマセン!太刀なヒトではない上に、撮影禁止だったので・・・)、いただいた地図を持って古道を探しに外へGO!

まずは、ジオラマにもくっきり描かれていた見沼代用水。
いただいた地図にひかれた赤線のいちばん下端になります。




用水自体は江戸初期の利根川東遷と干拓事業によりできたものですから、それ以前の戦国時代には一面の湿地帯だったと思われます。

ここから道は台地を緩やかに登っていきます。




鳩ヶ谷氷川神社の参道。これが鎌倉街道中道と推定されている道らしい☆
鳥居の向って左手側に、「東照宮様御床机御跡」の大杉があったと伝えられているそうです。

そっか、「日光御成道」が成立するのは徳川家康が日光に祀られてからだから、まだ存命の時に来て床机を使ったんだとしたら、鎌倉街道の方になるわけだな(^^;)




坂を上りきって氷川神社にお参り。御朱印も頂戴して・・・
さて、道の続きはどこだ?




地図を見ながら神社の東側に出ると・・・
ありましたありました、道の続き!





参道と同じく幅2~3mほどの道がまっすぐ北へ続いています。

鎌倉街道の特徴のひとつとして「なるべく平坦で最短距離を結び、そして高低差の少ない坂道を選んでいて、部分的には曲がっていても全体としてみれば直線的な道」であるというのがあります。

なので、こんな緩やか~に台地に上ってまっすぐな道だと、やっぱり鎌倉街道!とうれしくなっちゃいます♪




親水公園のあたりまでやってくると、道の西側が急な高低差になっていることに気づきます。
地図で見ると道と法性寺は同じ高さに思えるけど、実はこの坂の下☆

下手すると道から家の屋根の上が見えちゃう(笑) 
道が台地の縁を走っているので、その昔湿地帯だっただろう低地部の見晴らしがとても利いていて、この感じは、以前歩いた「座間・ほしのや」あたりの河岸段丘を通る道によく似ているな~と思ったりして。
(→ そのときの記事はこちら!)

これも「台地・微高地の尾根を多く通り、また河川流域の段丘を多く通っている」という鎌倉街道の特徴に合致してるようですね!

さて、いただいた地図の赤線たどりは最後まできてしまいました。
今回は偶然知った道だったので、次回はちゃんと調べた上で来なきゃだなぁ~!


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