三島市のHPにも、「平安鎌倉古道」は豊臣秀吉による山中城攻めの際に徳川家康の軍が進んだ道といわれている旨の記載があり、土屋比都司先生の「駿河伊豆の城と中世」という御本にも、その平安鎌倉古道と、古道を押さえる関所のような古城(箱根古城)について記載がされています。
それによると、平安鎌倉古道というのは「日本紀略」に記載のある、延暦21年(802年)の富士山の噴火によって官道であった足柄道が通行不能となったために代替ルートとして開かれた、箱根峠から扇平、元山中を通って願成寺台地(河原ヶ谷城跡)から三島大社に至る延長約15kmに及ぶ「箱根路」と推定される道を指しているようです(上の地図の赤線)。
そして、鎌倉~室町期には現在の旧東海道にほぼ沿った新道(江戸時代の東海道・地図の青線)が開設され、鎌倉時代には古道が主流であったものの、後北条氏支配の時代には軍道として古道・新道双方が同じように機能しつつ、徐々に使用頻度が新道に移行していったものとみられます。
というわけで、ぼそっと「箱根の平安鎌倉古道を歩きたい~♪」とTwitterで呟いたら、4人のフォロワーさんが賛同してくださり・・・総勢5人、三島駅に集合して芦ノ湖畔の箱根港に行くバス🚌に乗り、箱根峠(正確にはその1つ手前)のカントリー入口バス停に降り立ちました~!
事前に入手していた平安鎌倉古道のウォーキングマップの目印を参照しながら、まずは芦ノ湖高原別荘地の中にある古道の入口を探します。
これは、バス停から500mほどのところにある箱根旧街道(江戸時代の東海道)の入口。今回目的の平安鎌倉古道はここではありません!
さらにさらに別荘地の方へ進んでいきます。
ちょうど箱根外輪山の外側斜面を横移動してる感じなので、眼下に三島の市外が一望できます。めっちゃいい景色!
豊臣軍がひしめいてる様子までは、さすがに見えなかったとは思いますが・・・(^^;)
まだかまだかと思いながら進むと、結構遠い(^o^;)
途中で道は芦ノ湖ゴルフ場の中へと入っていくように思えるので、かなりビビります☆
この案内標が大事!うっかり見落として違う道に進みかけて、たまたま通りかかったゴルフ場整備(別荘地整備か?)の方に教えてもらって、迷子にならずにすみましたが・・・(笑)
バス停から2kmほど。古道の入口にはわかりやすく、石の道標とともにカワイイ手書きの立て札が立ってます。
やっとここからが、いよいよ平安鎌倉古道~!
と、喜び勇んで一行の先頭切って古道に入っていったワタシでしたが・・・
古道に入ってすぐの下り道で、木の階段に足を取られて前のめりにすってんころり!!!ひざを思い切りぶつけて、しばらく悶絶。
実はこれが後々、尾を引くことになるのですが・・・
すると、さほど歩かないで現れる鉄塔のすぐ先に、いきなり見事な土橋出現!!!
もうこうなると、次の瞬間には直前にすっ転んで悶絶したことなど頭からどこかに飛んで行っちゃって、遺構に夢中~♪
土橋の真正面にはこの古城の主郭と思われる尾根上の郭が立ちはだかっているので、狙い撃ちにされてますが(笑)
向かって右手(北側)がこの古城の主郭と思われる最高部。左手(南側)は低いほうに向かって段郭が並んでいます。
そして、中央を掘割状の古道が東西に通っています!
土屋先生によると、この掘割道手前の削平地はこの城の中枢部で、関所があったのではないかとのこと。
なるほど、真ん中を通る掘割道を関所でふさいでしまえば、両脇の郭から狙い放題ですね☆
この削平地から写真右手の主郭?方向には、登り道にもなるような土塁が続いています。
堀切の1つを撮ってみましたが、藪でよくわからない~ので、ココロの目でみてくださいwww
さて、またもとの削平地に戻って、今度は掘割状の古道を下って行きます。
どんどん深くなって、その分、両脇の郭から見下ろされることになります☆
これが水の流れる「沢」や「川」ではないのが不思議な感じ。。。
両側は郭と思われる削平地。
特に南側は、細く続いて土塁のようになっています。
古道を下っていくにつれ、古道と左右の郭とはどんどん高低差を増していき、やがてそのまま城外へ出ていきます。
「箱根古城は、鎌倉古道を含む箱根峠一帯の緊張が高まった建武2年(1335年)頃に箱根側を守る者によって創築されたとみられる。その後は一時的に廃されたであろうが、室町時代には大森氏が管理する関所を擁する城として存在したが、~(中略)~ その後、北条氏の小田原進出によって大森氏の手を離れ、箱根古城は小田原本城の背後となる箱根を守る、鎌倉古道の押さえとして活用された」
「天文6年(1532年)から始まる河東一乱で ~(中略)~ 今川市との境目城であった長久保城が敵の手に渡ってしまうと、小田原本城を守る境目城としては、鎌倉古道に箱根古城があっても、新道を守る境目城が必要になってくる。すなわち北条氏は箱根を防衛ラインと考えて、そのために築城したのが山中城であったのである、(以下略)」
城域を出てからも、大規模な掘割状の古道はまだまだ続きます。
途中、道が二筋に分かれているところも。
そういえば武田軍が小田原攻めで通ったという相原~御殿峠の古道にも、こんな感じに本道と側道に分かれてる所がありましたっけ(→記事はコチラ)。
ところどころ鍵の手に曲がりながら、古道はどんどん山を下っていきます。
道の所々にはこんな案内板も。地元の方々が整備してるんですね!
指示されている道が次のようにフツーの感じになったりしても、惑わされてはいけませんでした(笑)
なんとか斜面から古道と交差している林道に転げ出て、また木立の中に続く古道へ。
林道からの入口は狭いのですが、中に入っていくとまたすぐに古道遺構が現れます!
左右の土塁、わかりますか・・・?
さらに下ったあたりでは、地層が見えるほど道が抉られてしまっていて、もとの道幅が分かりにくくなってますが・・・
今回の古道歩きにあたって参考にさせていただいたブログの1つに、ここで露出している地層から、道路遺跡でよく検出される路面底の凹凸(波板状凹凸面)がみられるとありましたが・・・
この地層って、そうかな・・・?
ところどころに平安鎌倉古道を示す石碑が建っているのを確認しながらしばらく進むと、やがて木の柵が道をさえぎっている地点に来ます。
広域基幹林道「北箱根山線」との交差地点です。
ここにはお手洗いと古道の説明板があって、座れるような場所はないものの、ちょっとした休憩スポットになっています。
別荘地の古道入口からこの地点まで、約3km。途中古城をうろうろしたり迷子になったりしたので、もっと歩いてるような気がしますが(^^;)
ここに建っていた三島市教育委員会の解説板(平成4年)ではこの古道について、鎌倉時代に「十六夜日記」の作者が通ったことを例にあげて、足柄峠越えに比べて険しいが距離が短いなど便利なため平安~鎌倉期に多く利用されたことを紹介しています。
また、江戸時代に箱根旧街道がつくられてからは、地元の人がとおるだけになったこの古道の元山中・山ノ神神社付近を、平成2年にゴルフ場建設にあたって発掘調査したところ、中世の古銭や銅製品、漆器、陶器などが出土して、平安鎌倉古道が確認されたとのことです。
林道を通り越して木立の中に入っていくと、またもや見事な古道遺構が続いています。
このあたりが扇平なのでしょうか。古道は続いているものの、そろそろ普通のハイキング道のようになってきたな、というところで・・・
なんかズボンの右ひざの伸びが悪い感じで歩きにくいな・・・と思って見て見たら、最初にすっ転んでぶつけた右ひざが内出血して、ズボンがはち切れそうなくらいに腫れあがってる!
ここまでアドレナリン出まくりで痛みはほとんど感じてなかったのですが、気がついてしまうとなんとなく痛くなってきちゃいまして☆
それでも山の中なのでどうしようもなく、足を引きずりながら2kmほど歩いて、天正18年(1590年)の小田原攻めの際に、徳川軍が山中城を背後から攻めるにあたって陣を設けたという「山神社」に到着。
なんだかカメラまで調子悪くなっちゃってます(^^;)
そして、元山中の関所跡。
このあたりからちょうど谷を挟んだ向こう側の尾根上に山中城があります。
ちょっと邪魔な電柱の右側あたりです☆
徳川軍はこの関所あたりから一度谷に降りて、山中城に向かって登っていったのでしょうか。。。
甲陽軍鑑の品第三十七には「永禄十三年九月はじめに信玄公伊豆にらやまへはたらき給うに、氏康は出なされず子息氏政三万八千の人数をもって、山中に馬をたてられ候~」とあります。
永禄13年(1570年)といえば、武田信玄の駿河侵攻に伴って武田軍と北条軍が三島付近で対陣していた時期ですが、北条氏政が本陣を置いた「山中」がこの元山中を指しているようです。
なぜ徳川軍も北条軍も、この元山中関所あたりに陣を置いたのかなぁ・・・
本当は直に地形や位置関係を確かめたかったのですが、すでにこの時点で足の方もギブアップ!同行のメンバーにタクシーを呼んでもらって、そのまま病院へ。
そのままオフ会は流れお開きとなってしまい、同行のメンバーには病院の付き添いから新幹線に乗るまで面倒を見てもらうなど、多大なご心配、ご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ないことでした。ごめんなさいm(__)m
どうと言うこともないと思っていた怪我のほうは、結局右足首・右ひざ・肋骨の3ヶ所骨折してて、その後しばらく自宅療養するハメに☆
それにしても、我ながらよくもコケた後に約5kmにわたる古道遺構を見ることができたもんですが・・・
これでもまだ最初に掲げた地図の1枚目のみ。つまり行程の半分しか歩いていないので、しっかり足を直してまたリベンジしなきゃです!
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