その後、徳川幕府により慶長期・元和期・寛永期と段階的に天下普請が行われた結果、本城区域(本丸・二ノ丸・三ノ丸、西ノ丸・西ノ丸下・吹上・北ノ丸)だけでも周囲16km、そしてその外側、現在の千代田区と港区・新宿区あたりの外堀~神田駿河台あたりを流れる神田川を総構えとする大城郭となりました。
その大城郭のうち、本丸への出入り口にあたる北桔橋門と西桔橋門、その間の三日月濠(乾濠)、西ノ丸山里曲輪の道灌濠は太田道灌時代の江戸城の名残といわれています。
現在の西ノ丸は宮城エリアなので、西桔橋御門跡や道灌濠は通常の皇居一般参観でも見ることはできません。
が、今年は特別に天皇陛下の傘寿の記念ということで、春と秋に桜や紅葉の綺麗な乾通り(坂下門→宮内庁庁舎前→乾通り→西桔橋→乾門or東御苑)のコースが公開されるという・・・!
これは千歳一隅のチャンス!
ということで、春季は行きそびれてしまったんですが秋季はなんとか休みを死守して出かけることに成功しました☆
春季の時はものすごい混雑&大渋滞だったということなので、今回はなるべく空いていそうな平日を選んで、しかも朝早めに有楽町に集合!
事前リサーチによると二重橋駅方向からは坂下門に入れてもらえないということだったので、城ガール隊員4人プラス新顔さんの総勢女子5人で、桜田門から皇居外苑に入っていきました。
すると・・・もうはるか彼方、大手門あたりに停まった何台もの観光バスから、団体さんが内堀通りをぐるっと迂回してぞろぞろやってくる姿が・・・☆
皇居外苑の中も、ずっと坂下門にむかって通路とお手洗いが設置されていて、せっかく二重橋の前を通っても止まって写真なんか撮っていると注意されます(^^;)
なんたって、このときにはすでに坂下門の前には開場を待つ人々の群れ~ですからね☆
おかげで、普段はそれほどじっくり見ることもない、坂下門脇の蛤濠と皇居東御苑方面からの土橋の石垣なんかじっくり眺めてしまったりして(笑)
ですが、私たちは一目散に遠くに見える富士見櫓の撮影へ~!
他の人たちと見てる方向が全然違うし、人のいない方にばかり行って不審な集団だし(笑)
ちなみに、通常の皇居一般参観の時には、桔梗門から入って富士見櫓のすぐ下を通るので、富士見櫓の写真は撮り放題!です。
でも、今回の場合はそばに寄れなくても、まぁそこは遠目でも見れたウレシサのあまり、ということで☆
さて、ここからは一般参観では通れない蓮池濠の脇の「乾通り」。桜と紅葉が見事だという、今回の
メインストリートです。
・・・とか言いながら、すでに蓮池濠の向こうの本丸高石垣しか目に入ってない(笑)
横矢がけの折れが、とってもチャーミング♪
そして、実は濠の手前の地面が、ごくごく薄~く土塁の跡のように盛り上がっているのが、ワタシ的にはなんとも気になるところ☆
そして、見えてくるのが富士見多聞櫓。東御苑側から見る姿はちょっと残念な感じなので、蓮池濠側からの石垣に映える姿を、こんなに近くで見られるなんて、超感動!
あ、一応紅葉がウリの公開なので、紅葉が写っている写真も載せておきますね。
でも、櫓を見るには、やっぱ邪魔(笑)
そして・・・これがその日の乾通りですよ~☆
どこが道なのかわからないくらいの混雑ぶり!
ふと見ると蓮池濠とは反対側にちょっと古めかしい門が。。。
そばにあった看板には「局門」とあるけど、門の向きが江戸城本丸とは逆方向。
江戸城の「お局門」といえば平川門だし、作りからしてもどうも江戸城のものではなさそうな・・・と思っていたら、周りの噂を総合するに、どうも明治時代に入ってからのもののようです。
だとすれば、西の丸・吹上方向に入っていく形で建っているのは、なんとなく納得?
局門の並びには、これまた由緒正しげな長屋門が。
これまた、説明がない上、立て札もないので何なのか全くわかりません。
周りにいた人が、これらの建物の奥には倉庫があるのだとまことしやかに言っておりました。
真偽のほどはわかりません(^^;)
そして・・・長屋が切れたあたりに出現するのが、今回お目当てのひとつ、道灌濠です!
・・・でも、フツーの池にしか見えない(^^;)
前述の通り、宮内庁や宮殿のある旧西の丸と吹上御苑との間を隔てている道灌濠は、太田道灌時代の江戸城の江戸城の名残だということです。
写真は下道灌濠。この奥に中道灌濠、上道灌濠と続いています。
濠の回りには、他の濠のような石垣があるようには見えません。
石垣の技術が発展してくるのはやはり戦国時代後半なので、太田道灌の時代には「土の城」として作られたからなんだろうなぁ、と思いつつ・・・
じゃ、土塁や切岸がどうなっているのかな~と見てみたかったんですが、木々が鬱蒼と茂ってしまって邪魔!なため、確認できませんでした。。。
この先、吹上御苑方向に入っていってしまったら、思いっきり不審者ですしね☆
そして、再度本丸側に振り返ると目に入るのが・・・
この日、もうひとつのお目当ての、西桔橋門です!
西の丸・吹上から本丸・天守台に直接通じる要所であるため、蓮池濠と三日月濠(乾濠)の間にかかる土橋の一部を切って、桔橋(はねばし)がかけられていました。
有事の際にはこの桔橋を跳ね上げて交通を遮断して本丸を防備したもので、江戸城ではもう一ヶ所、やはり本丸に直結する北桔橋門にも同じように桔橋が架けられて、特に厳しく警護されていたのだということです。
ただし、写真で見ても判るとおり、現在は跳ね上げの仕掛けのない、普通の橋がかかっています☆
そして古写真によれば、かつてはこの西桔橋を渡ったところに高麗門があったもののようです。
そして、写真では橋と門跡の先で人の流れが左に曲がってゆるく坂を登っていますが、高麗門の中は少々変則的な枡形になっています。
さて、いよいよその西桔橋の上から、まずは左右を眺めてみると・・・
本丸に向って右手が蓮池濠。本丸と西の丸の高低差が歴然としていますね。
そして左手が三日月濠(乾濠)・・・ん?
なぜか一ヶ所だけ石垣が高くなっている部分がある?
よく見ると、高くなっている部分は他の部分と積み方が違うようでもあり、向こう側に土塁が続いているようにも見え・・・
これも、遠目には見れても近づくことはできないので、どうしてこうなっているのか謎のままです☆
そして、改めて橋からまっすぐ門内を見ると・・・
目の前に広がる、見事な二段の枡形石垣!
この石垣は江戸城でも最古の部類と言われていて、築かれた時代は太田道灌の時代よりは下ると思われますが、江戸幕府による天下普請が行われる以前の高石垣を造る技術がなかった時代に、段に分けて築きあげたもののようです。
よく見ると下の段は荒っぽい(?)野面積みですが、上の段の方は比較的きっちり積まれているように見えるので、下の段よりも新しい時代のものなのか、積みなおしが入っているのか?という感じです。
この後、そのまま坂を登っていくと上の段だけが残って一段石垣になるのですが、そこには刻印も見られるので、あるいは天下普請の際にここの石垣も修築がされたのかもしれません。
これが、その刻印。
坂の上の方から枡形内を振り返ると、坂の途中から二段石垣が一段になっているのがよくわかります。
この石垣の反対側は薄く土塁になっています。
後日netで古写真を見つけましたが、往時はこの土塁の上に土塀が続いていて、渡り櫓門こそなかったものの、西桔橋の高麗門や石垣とともに枡形が形成されていたもののようです。
坂を上りきると、そこは天守台のすぐ目の前!
普段公開されている皇居東御苑のエリアに入ります。
江戸城(皇居)乾通り一般公開エリアは、これでおしまい。一方通行なので、反対側に戻ることは
できません。
が、せっかくなので今度は東御苑側から見てみることに。
まずは天守台。明暦の大火後に再建されたものだということで、御影石を加工してぴっちりと積み上げた美しくも見事な切り込み接ぎ♪
・・・しかし、いつもは人っ子一人いない天守台。こんなに人がいるなんていったいどうしたんだ(笑)
天守台の上に登ると、内側にも地味目の(?)石垣が残っています。
そして、東御苑側(本丸側)から見た富士見多聞と富士見櫓。
・・・やっぱり裏側から見た感満載で、ちょっぴり寂しい(笑)
今度は天守台の裏手にある北桔橋門。
西桔橋門同様、本丸・天守に直結する重要な場所なので、古図などによれば門内には立派な枡形があったようなのですが、すっかり跡形もなくなってしまっていて、今は門を入ると天守台が真正面に「素通し」です☆
また、北桔橋門外にも往時は跳ね橋がかかっていたのですが、現在は土橋と門の間に「普通の」橋がかかっています。
それでも、要所の門であるため、門の左右の石垣は非常に高く築き上げられていますし、防御のための横矢がけの折れも見事です♪
この後、竹橋の某ビルの屋上(城好きさんの密かな穴場スポット。撮影は禁止ですが♪)から再度江戸城の全景を眺めて、ワタシの「江戸城(皇居)乾通り一般公開」は終了!
今回、江戸幕府以前の江戸城遺構をメインターゲットに見てまわったんですが、江戸城=江戸幕府のイメージが強いですし、遺構の残っている場所も通常見れる場所ではないせいか、江戸幕府以前ってなかなかnet上でも話題がでてこないですよね。
吹上御苑も自然観察会はあるようなので、お城の遺構の観察会なんかもあるといいのにな~☆
宮内庁サン、ご検討よろしくお願いします!m(_ _)m