2014年4月17日木曜日

半蔵門あたりぶらぶら

虎ノ門で所用のあと、ちょっと時間があったので、特段どこに寄ろうというプランもなかったけど、お堀端までぶらぶら歩いて有楽町線に乗ろうかな、と思って霞ヶ関あたりから桜田門方面に向かって歩いていて・・・

外務省のある交差点で信号待ちをしながら、ふと「そうだ、ここからショートカットして半蔵門見に行こうかな・・・それで麹町から有楽町線に乗ろう!」


なぜ、いきなり半蔵門?

実はたまたまこの2~3日、竹村公太郎氏の著書「日本史の謎は『地形』で解ける」を読んでいて、その第5章「半蔵門は本当に裏門だったのか」の半蔵門~麹町の地形を直に再確認してみたいな~と思ってたので、だから、まさにちょうどいい機会なわけです。

この内容は、宝島社の「地形から読み解く日本の歴史」という雑誌にも、ダイジェストが見開き2ページほどで載っています。

内容は、現在の二重橋の正門や大手門と正反対の位置にあって搦手といわれている半蔵門だが、現在よりも湾が深く入り込んでいて周辺が「葭の原」湿地であった江戸初期には、高台が続く尾根道である甲州街道が直結していて唯一江戸城に到達できるルートであったと思われることから、本来は半蔵門が正門だったのではないか、というものです。

麹町のあたりは仕事で結構行くこともあって、確かに坂もあったなぁ~とは思うけど、いつも何の気なしに地下鉄で行っちゃったりしてるので、ちゃんと見てみようかな・・・と。




外務省のある交差点と半蔵門の間の位置関係はこんな感じ。

外務省と財務省の間の潮見坂を登っていって、国会議事堂の前をまっすぐ横切ると内堀通りの桜田掘に出ます。

地図の桜田掘の上が半蔵門の土橋で、そこから左側に伸びる道が甲州街道、周辺一帯が麹町です。

この地図だとわかりにくいんですが、実はこのあたり、霞ヶ関あたりは土地が低くて、桜田門の交差点から半蔵門に向かっての内堀通りはゆるやか~な、でも結構高低差のある上り坂です。

そしてこの地図の下のほう、首相官邸とか公邸とかあるあたりの下は溜池・・・今は外堀通りになっていますが、江戸時代には江戸城外濠と溜池のあった低地です。

ということは、つまり国会議事堂やら議員会館やらのあるあたりというのは、台地の端のこんもりした高台になっているわけです。



さて、これが外務省と財務省の間を国会議事堂方面に上っていく、潮見坂。



坂を上りきると、国会議事堂の前を通る道に出ます。
国会議事堂の前庭はお出入り自由の公園になっていて、日本水準原点標なんかあったりしてびっくりします。




  



こんなところが標高決定のための基準点なんだ・・・?!
かなり意外。確かにしっかりとした台地の上にはありますが・・・?

この実は皇居に向かって落ち込んでいく斜面にあるので、国会議事堂の門の正面に立つとこんな景色が見えます(*^_^*)





眼下には江戸城桜田掘。遠くに桜田門が映ってるの、わかりますか?(笑)
お堀越しに江戸城の土塁と石垣が見え・・・るはずなのですが、緑の木々に阻まれてます。




・・・心の目で見てください(笑)

前庭からまた議事堂前の道路に出て、そのまま議事堂に平行しながら北に進むと、やがて下り坂になって、桜田掘の堀端に出ます。

ちょうど次の地図の赤字「現在位置」と書いてある、三宅坂交差点です。

 

この交差点の脇に小さな公園?があります。
女の人が三人踊ってる像の向こうには最高裁判所・・・

この像っていったい何かな~?と思ったら、「広告記念像」なのだそう。
そして、この像の後ろに小さな看板が立っているのですが・・・

この公園の場所はかつて三河田原藩の上屋敷があった場所で、渡辺崋山の誕生地でもあったということです。

三宅坂からは、桜田掘に沿って緩やかな登り坂。登り切ったところにあるのが半蔵門の土橋です。





このポイントからの風景は歌川広重の名所江戸百景「糀町一丁目山王祭ねり込み」にも描かれています。

浮世絵の写真は、引用元(Wikipedia)が小さかったのでボケボケになっちゃいましたが、よくよく見ると土手の折れなど昔も今も一緒なんですね!

竹村氏は著書の中でこの絵を引き合いに出して、江戸時代から半蔵門は堅牢な土橋であったことや尾根道である甲州街道とその両脇を固める番町・紀尾井町の旗本屋敷などの関係を通して、「半蔵門=正門」 説を展開しています。

そして、警戒厳重な番町・紀尾井町あたりになぜ赤穂浪士がなぜ16人も潜んでいられたか・・・というところから、別の興味深い話に広がっていくのですが・・・

これ以上書くとネタバレになってしまうので(笑)、それはさておき・・・




半蔵門の土橋を両サイドからみたところ。
江戸時代からの姿そのままの大きくてがっしりした土橋です。

半蔵門自体は、本当に江戸城でいえば「裏口」といった風情の小さな門なのですが・・・





半蔵門の土橋の袂から桜田門方面(桜田掘)をみると・・・この高低差、わかるかな~?

桜田門から先は高低差なく半蔵濠~千鳥ヶ淵と続きます。
江戸城の中ではこの半蔵門のあたりが一番標高の高いところだと思われます。

そして、千鳥ヶ淵からは一気にまた神田方面の低地に向かって、地形は一気に下がっていきます。
そう、日本武道館に行くときに九段下の駅から登っていく、あの靖国神社前の九段坂ですね。



そちらへは進まずに、半蔵門の土橋からまっすぐ麹町方面へ甲州街道(新宿通り)を進むと、道はそのまま四谷駅=四谷見附に向かいます。

この道を歩きながらところどころで左右の路地をのぞいてみると・・・なんと両側とも坂道が落ち込んでいる!

確かに、甲州街道は麹町台地の尾根の一番高いところを通っているんだなぁ~、と改めて実感して、「地形~」の本に書いてあったことの意味がひしひしと実感されます☆

江戸城の高低差と門の位置は地図上では知ってはいたものの、直に歩いてみると今までと見方考え方がまた変わってきますね!

ちなみに、そのまままっすぐ行くと、やがて四谷見附で外堀を渡って江戸城を出て、四谷大木戸、内藤新宿を抜けて甲州へ向かう甲州道中(ほぼ現在の国道20号線)となるわけです。

まさかそこまでの時間はなかったので、ぶらぶら散策はここで切り上げにしました。


またちょこちょこ機会を作って、なるべく歩こう☆
・・・サボリといわれない程度に(笑)